W3(ワンダースリー) [転載禁止]©2ch.net
もしも円谷が大赤字の製作でありながらも、
テレビドラマに参入してこなかったら、
そうして専ら劇場用だけに注力し続けていたならば、
ウルトラQもウルトラマンもウルトラセブンもなかったろう。
そうして円谷ではないが東映が仮面ライダーシリーズのような
ものも作るような話にはなっていなかったかもしれない。
あの時代、様々な才能や企画が、テレビという当時国民大衆の
関心の中心にあった媒体の上に、参集し、切磋琢磨し、バトルを
続けて居たが、どうしても成果はワリカンになってしまい、
割りを食う立場になることがあっても仕方がなかった。
昭和の時代、テレビ放送が始まってからは、世間の話題は
テレビを中心に動いていた。それはアメリカの対日政策の
置き土産でもあったし、日本の政権の大衆操作の道具でも
あったのだ。パンとサーカスのサーカスだった。娯楽を
与えておけば、労働運動を抑制できると考えた正力太郎とか
いたし、戦前から続くプロパガンダ機関の延長でもあった
電通とかありましたし。 今となっては真偽を確かめようもない話ではあるが
手塚先生は2001年宇宙の旅のプロップデザインの候補に上がっていたと言う話がある
アニメ会社の社長でもあったので
「面倒を見なければいけない家族が何十人もいて難しい」
と返事をしたら日本人は大家族なんだなと残念そうにしていたと言うのだが
もし連載漫画を何本も抱えTVアニメの制作までする生活をいっときでも離れていられたらもっとご活躍を続けられたろうか
なんとなく海外便で連載は続けアメリカのSFコンベンションまで覗き出して余計に忙しくなりそうな気もするが その話は手塚のエッセイ本(たしか「観たり撮ったり映したり」)で読んだが
のちに手塚全集に再録されたときにキューブリックから来たという封筒の写真が載ってた(封筒だけ手紙なし)。
他にもアトムがミクロの決死圏の元ネタで許諾の事前連絡が来たがその後音沙汰なしで
いつのまにか映画が公開されてたという話もあったな。 モノクロアトムのいくつかのエピソードのアイディアは、
後にハリウッドの映画のインスピレーションを与えたか翻案して頂かれて
しまったと思う。
たとえば、映画「AI]、「スピーシーズ」「ジェラシックパーク」「ハルマゲドン」
など。 手塚先生作品で行くとブラック・ジャックとか三つ目が通るの世代だから丸まっちいか全く訳がわからないメカのデザインハリウッドが欲しがるか?と思っていたが
SF好きなら誰でも知ってそうな題材にビジュアルを与えられる才能はイメージを映像にする仕事の人からみたら手に入れたいものだったのかも >>478の意図を理解出来ない馬鹿が天然書き込みw ジェラシックパーク
ジェラシックパーク
ジェラシックパーク
ジェラシックパーク
ジェラシックパーク 宇宙人東京に現わる(1956年、大映)
>後年のウルトラシリーズによくある「姿形の全く違う宇宙人が地球人に
>変身して人類社会に潜伏する」という描写を、日本映画としては初めて
>見せた作品でもある。
>地球人を「顔の中心に出っ張り(=鼻)のある哀れな醜い生物」と言っているが、
>それでも「地球に入りては地球に従え」の信念で、変身装置を使って地球人の
>姿に変化した。人間に変身したパイラ人は、指紋が無いことや。。。 やっぱり戦争ばっかりやっているこんな星なんか、さっさとぶっ壊しちまって
くにに還ろうよ、ねえ隊長! >>485
そんな簡単な文章も理解出来ないなら書き込みはお控え願います。 自分が隊長だと思い込んでいる無職童貞中年が潜伏するスレw 真一君を好きになってしまったW3達は、彼だけは殺すに忍びず、
真一君に真相を伏せて円盤に拉致して地球を飛び去った。
その旅行の途中で宇宙空間の小さな星である地球は一瞬の光輝きと共に消滅した
のをW3隊員たちは眺めていた。命令された任務であるとはいえ、今度もまた
星を一つ潰してしまったのだ。いったい自分たちはこれまでいくつの星を
消してきたことか。そうして今後どれだけの星を消さねばならないのかと思うと
少し気分が鬱だった。そのことを知らずに円盤にのって宇宙はきれいだなあ
などと無邪気に宇宙見物をしている真一が哀れに思えた。ついに円盤は銀河連盟
に到着した。(続く?) アニメよりは実写向きの話だったかもしれない
三人組だけアニメで実写に合成するとかでもバンパイヤより無理が少なかったかも
いやCGを使える今の方がW3が映像化されるべき時期だったかも ジェームズキャメロンの「アバター」のようなCG使いまくりの制作なら
アニメと実写の区別はなんだかあまりないような気がする。
Nvidiaの3Dアニメーション制作のシステムを使えば、デスクトップで
でも、演出ができて、レイトレーシングされレンダリングされた動画が60FPS
でも120FPSでも作れるのだろう。 でも、実写にしてたとえばボッコがモフモフの毛皮をまとったけだものしていて、
ノッコがまったくの馬として、プッコが本物のカモ、それでうまく行くかな?
今作ったら主人公は少年ではなくて少女にされてしまい、。。。 1960年代なら制作陣とも視聴者とも名犬リンチンチンやミスターエドっポイ作品として意思疎通しやすかったかもしれない storyと書きたいだけの低学歴糖質が笑えるwww 3匹が変身した動物が
犬、猿、雉だったら。。
あるいは
猫、犬、ネズミだったら。
あるいは
牛、馬、豚 だったら。
などと、別のパターンを考えてみたくならないかね?
なにしろ、物語の上では、掃除機で吸い取って集めた
3つの動物がたまたま馬、兎、カモだったわけだから、
そうではない可能性もありえたんだよ原理的にはね。 たぶん当時既に輸出も視野に入れていたから
日本以外で馴染みの薄い雉は選ばなかったと思う
そういえば等身大のグレンダイザーが建設されたそうだけどW3の海外での人気はどうだったんだろう たしか西海岸のローカルな局で放送された位じゃないかな?
Amazing Three というタイトルで。
他にも情報があればよろしく。 手塚ランド(虫プロランド)構想は、アトムが原作が尽きたのにいつまでも
他人の手による脚本で放送され続けるのではなくて、手塚が描いてきた
いろいろな物語をアニメ化していくという計画だったのだろうが、
それには制作体制、スポンサー、マーチャンダイジング、などの困難があって
計画倒れに終わった。またたぶんほとんどの漫画作品は、劇場映画並の
1時間半とか2時間、せいぜい3時間の尺があれば完結出来るものであるとすれば、
やはり1年間52本を基調とする年間テレビ30分枠にはあてはまらない。
しかし、今ならネットによるオンデマンド配信とかDVDとかあるから、
テレビ局の放送枠を押さえる必要や全国の劇場を確保する必要も無いし、
やれば不可能ではないのだ。そうすると問題は、資金とそれを回収する
システム、製作をどうするかに掛かっている。製作の労力は近年のデジタル化
でかなり減った。あとは企画力と資金(広告宣伝費を含む)とその投じた資金の
回収への目処が立つかだけなのじゃないかな。 ノッコが死んで、ボッコが死んで、プッコが死んで、
いずれ俺も死ぬ。 >>502
いや 作中で既に死んでるようなもんやし。 アニメ版では、W3は軍法会議にかけられて流刑になったりしてないのな。
ボッコ隊長が自ら願って愛してしまった真一と同じ地球人の女の子に
生まれ変わりたがっただけだったと思う。でもそのための条件としては
たしか宇宙人としての記憶を消されるという処置が伴ったんだっけな。
ノッコとプッコは隊長を地球まで運んでそれから円盤に乗って銀河連盟まで
戻って新たな任務をW2として続けるというような終わり方だったと思う。
記憶喪失になった元ボッコの少女は、微かに残る真一さんの記憶をたよりに、
村に歩いて行く。(一種の人魚姫の物語のようなもんだと思った。) アニメは白黒だったから再放送に恵まれなくて
ウルQ始まってからはそっち観てたんで最終話のイメージがほぼ残ってないんだよな
だからW3のオチというとヘソのない腹出して笑い合うコマしか浮かばない >>507
のぞみウイッチイズの作者の人も
そこに感動したらしい。 自分の意見が言えないので他人の名前を出す馬鹿にワロタw 歴史にもしもはないが、
もしも、虫プロが鉄腕アトムを製作して放映に持ち込んだが、
国内に追従する企業は現れずにずーっと10年以上も独走態勢を維持できて
いたなら、どうだっただろうかと思わずにはいられない。
その場合には、企業としてまさしく和製ディズニーとなりえたかもしれ
なかった。しかし、そうはならなかった。東映動画、タツノコ、TBS、
スタジオゼロ、などと次々と競合する各社が参入してきて、限られた
テレビ枠のぶんどり合戦になった。そうして内容よりは視聴率という
論理で苦戦を強いられることになる。 なぜボッコは真一に恋してしまったのだろうか?
やはり宇宙船に女性隊員を乗せて長旅させるのは
適切ではなかったと思わざるを得ない。と銀河連盟は
今後の反省点とするだろうか? >>511
いや 後の二人も真一を好きになってたし
変わらんよ。 ラストのボッコの人間バージョンは、如何にも真一と年齢が釣り合わない感じが
したんですがね。あの絵を描いたのは中村さんなのかね。 人間の少女になって真一のところに向かったかつてのボッコだったが、
W3の地球人に対する調査は、不完全なものであったために、
地球人の生殖機についての知識が欠けていた。そのため、西欧絵画などを
ベースに推定されたすべすべの下半身がモデルとして採用されてしまって
いたのだ。さあ、真一と地球人に生まれ変わったボッコは愛し合う仲に
なれるだろうか? 少子化するのじゃないか? 少年サンデー連載の当時、臍が無いことにするのが少年誌としての表現の限界だった
のだろう。時代が経って「アポロの歌」で女王シグマがすり寄ってくるのに対して
主人公が「ああー、性器がある!」などのようなことを叫んだために、一部地方では
PTAのトリガーが発動して、青少年に買わせない対象に指定されたりしたのだから。 タイトル忘れたが松本零士の漫画でそんなのあったな
女とやろうとしたら何もないから人間じゃないっていう 手塚治虫「人間ども集まれ!」の無性人間たちみたいな。 >>516
二人に子供が産めなくても
地球全体の少子化とは関係あるまい。 >>520
子供が産めない以前に無職童貞49歳ハゲ在●まぼろしパンティ狂いスコッターやろw ヒトとウサギでもスキンシップをすれば、愛し合えるのだろうか? 漫画の登場人物を溺愛している無職童貞の関西弁ならば知っている ウサギのメスは、交尾の際の刺激で排卵が起こるという
繁殖に適した生態を持っているのである。憶えときなや。 絵コンテ集見たらオープニングって手塚治虫が自分で絵コンテ描いてるんだね 童貞中年はアニメや漫画の性器に異常なまでにこだわるらしいw 女王シグマは合成人間なので、本来は性器はついていない。
でも、人間の持つ愛とは何かを知りたくて、主人公に持ちかけるが
合成人間にはないからと言われて取り合って貰えなかったので、
そこで身体を整形アップグレードをしてつけてから主人公に迫るという
シーンがあって、。。。
まあ、少年キング連載のアポロの歌は女王シグマ編が実に衝撃的だった。
美人側が醜く整形されてしまう刑とか、心に傷を植えこむような印象的な
ストーリー。 ぜひともこの作品を24時間テレビの1本にして欲しいと思ったが、
2時間ではちょっと尺が足らない気がするし、まあテレビ放送は無理だろうな。
オムニバス形式で作られたのは、実験アニメ「展覧会の絵」もそうだったけれども、
なんだかアポロの歌と作者の意識がつながっているような気がした。 >>529
読んでて切なくなる話ですしね
「君は治ったな‥」
で、その直後にまた死ぬしなあ‥‥‥ ちょっぴりフランスの(当時の)ニューシネマっぽかった。 せっかくの良作マンガ原作が沢山あるのに、ほとんど映画にもアニメにもならずに
放置されて幾数十年の月日を経て次第に古色を帯びて、忘れらるるものとなりて、
知らぬ間にメリケンやヨーロッパの映画などに密かに翻案されて元ネタを知られる
こともなく。哀れなるや 嗚呼、あまたある漫画作品のいたずらにきえゆくさま、あはれなり。 「こりすのぼっこちゃん」という「太田じろう」氏の児童漫画があって、
もしかするとW3事件の真相の一部はそっちだったのではなかろうか?
という気もするのだ。
参考:
レトロかわいい『こりすのぽっこちゃん』(太田じろう作)のLINEスタンプ第1弾が初登場!
https://newscast.jp/news/4279684 NetflixでW3とかアポロの歌を原作にほぼ忠実に作れたらいいのにな。 少年誌に連載された少年漫画だから一応の主人公は真一少年だけれども、
本当はこれは宇宙人ボッコの真一少年に対する恋物語だったのではないだろうか?
その恋ははたして成就したといえるのかな?
続編が作られなかったことは良かった。読者あるいは視聴者にずっとこの先
どうなるのだろうと自問自答させ続けることで、死ぬまで続く不朽の名作になるから。 君なら見かけは美少女だが、過去の記憶を持たず、内蔵の様子などが
人類とまるで違う宇宙人が変身したものである彼とか彼女と恋愛関係で
もって付き合いたいかな? あるいは宇宙人ではなくてツルが変身したものとか。 >>538
マンガじゃ
人間になった彼女の事を
真一が「俺が嫁に貰ってやるよ」なんて
親に向かって叫んでるし 成就したんでは? 二人の間の子が超能力持って活躍する続編とか作れそうだね >>541
陳腐なご意見有難うございます
もうレスしないで下さい >>539
まず
内臓は見えんから知らんし
相手の過去の記憶なんか やっぱり
こっちは知らんし
仮に鶴が変身したものであろうと
今、可愛い子が惚れてくれるなら付き合うで。 いよいよ初夜を迎えた真一だったが、
二人の間には障害となるとんでもない事実が明らかになった。
銀河連盟の工作員としての情報収集能力に限界があったからだろうか。
そのため作り込みが完全ではなった。 >>526それを動画にできる人間がいなくて、大塚康生さんを呼んできたと 穴見(中村)和子から借りた新車ベレットで事故って
おそるおそる穴見氏に謝りに行ったら
「そんな事はどうでもいいからこれの作画お願い!」
って押し付けられたんだっけ 「ベレット一台分なら安いものだ」と手塚先生嘯いたとかなんとか
新車のベレットって当時いくらくらいだったんだろう あれは、なんだかはめられたとしか思えないな。
車好きであること、かつての知り合いの美人妻を使って
車を餌に誘い出して、おだてて煽って事故を起こさせる
ように仕向けて弱みを作り、その償いとして断れない立場
にした上で仕事を依頼。なんという巧妙なトラップ。 「いすゞ・ベレット」でWikipediaの項目をみると,モデルごとの当時の価格が出てる。 >>550
同乗してたのに事故起こさせるとか
そんな危ない事できるか 1965年9月発売
ボディタイプ 仕様 車両型式 ミッション 全長×全幅×全高 ホイールベース 車両重量 エンジン名 排気量 最高出力 最大トルク 価格
4ドアセダン 1500デラックス PR20 3AT 4010x1495x1390mm 2350mm 950kg G150 1471cc 68ps/5000rpm 11.3kg-m/2200rpm 69万円
1966年4月発売
ボディタイプ 仕様 車両型式 ミッション 全長×全幅×全高 ホイールベース 車両重量 エンジン名 排気量 最高出力 最大トルク 価格
4ドアセダン Bタイプ1500 PR40 4MT 4035x1495x1315mm 2380mm 915kg G150 1471cc 68ps/5000rpm 11.3kg-m/2200rpm 61万2000円
1966年9月発売
ボディタイプ 仕様 車両型式 ミッション 全長×全幅×全高 ホイールベース 車両重量 エンジン名 排気量 最高出力 最大トルク 価格
2ドアクーペ 1600GT
ファストバック PR91G 4MT 4005x1495x1335mm 2350mm 965kg G161 1584cc 90ps/5400rpm 13.0kg-m/4200rpm 99万2000円
2ドアクーペ 1600GT PR91 4MT 4005x1495x1335mm 2350mm 940kg G161 1584cc 90ps/5400rpm 13.0kg-m/4200rpm 85万7000円 大卒の初任給が1万円ぐらいの時代じゃないのか?せいぜい3万円ぐらいだと思うが。
だから当時の同じ額面の金銭の価値は5倍以上はあったはず。
そもそも、穴見和子がベレットを新車で買った正確な時期はいつなのだろうか?
Wikipediaには上記のモデル以外にも時期の異なるものが出てる。
W3の放映開始が1965年の6月6日だということが分かったから、上の553の表は該当しないことが
判明した。 1964年4月発売
ボディタイプ 仕様 車両型式 ミッション 全長×全幅×全高 ホイールベース 車両重量 エンジン名 排気量 最高出力 最大トルク 価格
2ドアクーペ 1600GT PR90 4MT 4005x14950x1350mm 2350mm 940kg G160 1579cc 88ps/5400rpm 12.5kg-m/4200rpm 93万円
2ドアクーペ 1500GT PR90 4MT 4005x1495x1390mm 2350mm 930kg G150 1471cc 77ps/5400rpm 12.0kg-m/4000rpm 88万円
2ドアクーペ 1500クーペ PR90 4MT 4005x1495x1390mm 2350mm 925kg G150 1471cc 68ps/5000rpm 11.3kg-m/2200rpm 83万円
4ドアセダン 1300デラックス PR10 4MT 4010x1495x1390mm 2350mm 930kg G130 1325cc 58ps/5000rpm 9.8kg-m/1800rpm 74万4000円
4ドアセダン 1300
スタンダード PR10 4MT 3975x1495x1390mm 2350mm 915kg G130 1325cc 58ps/5000rpm 9.8kg-m/1800rpm 56万円
2ドアセダン 1500デラックス PR20 4MT 4010x1495x1390mm 2350mm 920kg G150 1471cc 68ps/5000rpm 11.3kg-m/2200rpm 65万5000円
2ドアセダン 1500
スタンダード PR20 4MT 3975x1495x1390mm 2350mm 915kg G150 1471cc 68ps/5000rpm 11.3kg-m/2200rpm 65万5000円
2ドアセダン 1300
スタンダード PR10 4MT 3975x1495x1390mm 2350mm 905kg G130 1325cc 58ps/5000rpm 9.8kg-m/1800rpm 54万円
直前だとすれば、多分1964年の4月に出たモデルを新車で買ったのだということになる。
当時の価格で54万円から93万円までいろいろあってどれだかわからん。
(2ドアだったか4ドアだったかなども)。
当時のお金の価値は今の5倍は優にあると思うが。100円が銀貨だったしな。ドルは360円固定相場制だった。 手塚先生がなんとしても東映動画から引き抜きたかったアニメーターだった。
そのためにいろいろと持ちかけたりオファーをしたりプレゼントしたりしたが
首を縦には振って貰えなかった。1つには東映の方が大会社だったし、学歴が
大卒だと将来幹部になれる可能性が高いと思ったからだろう。フルアニメ指向
の東映動画の中核としてアトムのテレビアニメには呆れていたという事情もあるようだ。
あの当時の段階では所詮は手塚治虫の個人会社も同然の株式会社だから、
虫プロはいつポシャっても不思議は無いのだった。まだ劇場用を作っている東映動画は
未来が堅実に思えたはず。
かりに潰した車の価格が今日の相場で300万円〜500万円であったとしても、
もしもそれで引き抜けたならば、移籍の支度金(スカウト代)と考えれば
安い物だと考えられたのだろう。それぐらいアトムで潤っていた当時の
手塚治虫には資金力があったということになる。 立志伝
大塚康生が中村和子の車を廃車にして手塚治虫が喜んだ理由
https://nobunaga-oda.com/ootuka-yasuo-w3/
ここに事情は出ているが、車種は自分には特定できない。 セダンとかクーペっていったいどういう意味の言葉なんだろか? 大塚氏が虫プロに行かなかったのは、手塚アニメーションに対する姿勢が相容れないと思ってたからだろう
東映動画で西遊記やった時の体験や、平生の会話などから違和感を覚えてたんだと思う
宮崎が手塚逝去の時に「あの人がアニメーションについて語った事はみんな間違いです」
ってのはおそらく大塚さんとの共通認識だったんじゃないだろうか レストランの料理とファストフードの料理の違いみたいなもんだと思うが 東映の劇場用フルアニメーション派は、フルアニメーションこそが素晴らしくて正統なものであり、
そのためには枚数が多くなければお話にならない、ディズニーが新作アニメを、画が何万枚、何十万枚描いて
という作業量を宣伝文句に使っているのを品質の保証だと考えるような。(実際はライバルをあきらめさせる
手段の1つであった)。
つまりアニメーションを実写に寄せる指向派だったということだろう。
如何にリアルに動きをア二メートするかという。だから、動きを誇張したり
歪みのある変型などの自由さ、面白さを追求する(当時実写では不可能だった)
アニメーションの半分を棄ててたようなものじゃないの?
漫画は写真よりも下らない、絵画は写実派こそが本当で、写真のような画を書ける
ことこそが優れた画家だみたいな。
そうして、リミッティッドアニメは画の枚数を減らした手抜きの粗悪な生産技法で
あって、そんなものにはみるべきところなどあるはずがない。
といったような偏見。 宮崎氏は個人的に手塚先生に
恨みがありそうやったし
額面通りには受け取れんな。 門外漢の漫画描きなんて下に見てたんだろうね。
エリート意識だよ。雇われ社員のくせに 駿は一度手塚と組んでアニメ作ろうとしたことがあるんだよ
手塚は最初乗り気で駿に「僕は何をすればいいの?」って聞いたら
駿が「金だけ出してくれたら何もしなくていいです」って答えて手塚が怒ってご破算になった
このことを駿はずっと根に持ってる