アニメックの思い出。
川村 万梨阿嬢のチャム・ファウのコスプレにはどきどきしたなー。 >>224
お弁当が励起して闇の中で光ったりとか
バケツから放射性物質がおちたところだけクローバーの葉っぱが増えてたりとか んー、ナボコフの記事があったのは憶えているが、そのときかなー 髪の毛抜けて困るわ〜とかあった覚えがあるが
実家には休刊号くらいしか残ってないから確かめようがないw
置いとけば良かったと心底思うわ 1990年代くらいまでは地方の古本屋でもわりと見かけたんだけど
全部ブックオフと言う名の悪魔に滅ぼされたからな・・・ アニメック17号の黄色い表紙に「美少女を求めて… ”ろ”はロリータの”ろ”」があった 段ボール箱に入れたアニメックが物置にほぼ全部あるんだけどどうしたらいい? 神保町に売りに行け
それができないならオクに出せ
俺が何冊か買ってやるよ ウチには創刊前のマニフィックから廃刊号まで全部
引越しで処分しようと思ったけど結局新居に持ってきてしまった
同年代のアニメック、OUTと共に それどうするの?俺も10年以上全く触れてもいないけど捨てられない。
アニメに熱くなってたあの頃が消えてなくなってしまうと思うと寂しくなる。 コレクターやアニメ文化の収集家がいるから連絡してあずかってもらうってのも良い
そのへんの初期のは探しても出てこないことが多いし
ほんとは情報の散逸をふせぐためにもなんらかのシステムが必要なんだけどな オークションに出せば?
読みたくなったら、国会図書館に行って閲覧すれば良い。
国会図書館で欠号があったら寄贈すべし。 池田の特撮コラムは読んでみたいな。妄想と美化で実物みたらがっかりすることもあったそうだから ケッダーマンってアニメックの方では何かやってたっけ?
先日モデグラ買ったら訃報記事載ってたので
懐かしいのと寂しいのと半々の気持ちになってしまった
ファンロードだけだったのかな
50代って若いよなぁ 池田憲章は一時期スーパードラマTVのSF番組顧問みたいになってたんだけど
今なにやってんのかな 池田憲章はネットラジオやってるよ。検索すればすぐ出て来る。 中高時代の最大の宝であるアニメックを捨ててしまいそうな俺。悩む。 その宝を最後に見たのは何年前だ
10年以上見ていないのなら捨ててしまうことだな アニメックの時代を池田憲章さんが語る
談話室オヤカタ
ttp://www.harashow.net/kiji.php?kid=1196&lang=ja
アニメックの話題はそれほどないけどね >>245
あとで聞いてみるよ
しかし良く見つけてくるね?? 見つけるために見つけたんじゃない。見つけたからここに書いただけ。 宝であるアニメックを久々に引きずり出してきたらカビてたでござる。迷わず捨てたでござる。 宝だからこそしっかり仕舞いっ放しにしておいたんだよ。 >>239
ケッダーマン、懐かしい名前だとおもたら亡くなったのか
ふぁんろーどで読んでたな フィギュアだけじゃなくて
手芸作品まで幅広く載せてた
昔のアニメ雑誌の話ができるスレって他に見当たらないから
ここ読んでると懐かしいよ >>251
里のゴミクションだっけかな?
あさのまさひこがこの人から仕事の事色々教わったって書いてたわ
あの時代から30年経つんだからまぁ訃報も多くなるか 一本木蛮が描いてる同人少女JBで
ファンロード編集部に行く話描いてたが
初っ端にケッダーマン出てきたw
顔が似てるのか知らないがカッコ良く描かれてたわ 編集長が言ってた。6号をサンライズに盗まれて、手元にはスクラップの
切り抜き済のしか無いって。(大学時代の恩師です)
>>252
惜しい、狸です。因みに本人の見た目も狸っぽいです。 アニメックデジタル化保存計画委員会発足のお知らせ
現在まで続くガンダムの礎を作ったアニメ誌の金字塔ともいえるアニメックをデジタル化し、
広く一般に公開する計画を立ち上げたいと思います。
「自炊」による違法行為とならない様にまずは、すべての著作権者の承諾 >>254
狸かww
今まで勘違いして覚えてたのか俺w
ありがとう >>255
各方面への権利問題のクリアが死ぬ程難しそうだな 二十号代中盤くらいまでは作品に対する考察、業界の周辺事情や機器、アイテムへの拘り等々
とかく独善的になりがちではあったが、そのとんがり具合や青臭さ含めて
今現在読むと、とにかく恥ずかしくていとおしい。
月刊化辺りから何と言うか、読者の投稿コーナー始め、
作品P辺りまで、(例え多少独善的ではあっても)考察や解説ではなく
自己陶酔感溢れる文章で飾られはじめ、ついて行けなくなった憶えがある。
一応最終号まで付き合ったが。 >>255
サンライズからダイコンフィルム、東映他諸々の権利絡んでくるからなー・・・
編集長は会社の金で同人誌作ってたって言ってる人だし、記事だけなら
頼めばOKしてくれるだろうけど。
今月22日に会うから、聞くだけなら聞ける。
著作権絡みの部分は、かなり許可取るの大変だぞー?
というか、サンライズは個人に対してだと、まず許可出さないはず。 ガイナもゼネプロ時代の記事に関して、お金になると思った瞬間
そのぶぶんだけはうちがやるとか言い出しそう
あと読者投稿ページや同人紹介ページの扱いとかどうなるのかな
今現役で活動してる人や、一時期アニメショップや同人ショップやってた人のアマ時代の本が紹介されてたりするけど そういえばあの頃の雑誌の読書投稿ページは
普通に実名実住所載せてたりしたよね 同人誌の問い合わせ先やファン倶楽部の入会連絡先とかばんばん乗せてたしね あの当時は同人誌手に入れる事やイベントに行くなんて夢のまた夢だったなぁ 地方はイベントも少なかったし、自分で作るにも同好の人間を集めるのも苦労したし
漫画アニメ倶楽部がある学校も少なかったからなあ ふと思ったんだけどさ…。
ゆうきまさみ他、アニメック無かったらタヒってたのかな?
ま氏曰く、「NTTの集金が来るので匿ってください」って、
ゆうきまさみが何度か編集部に転がり込んでたとか言ってた。
ラポートの元営業部長、2代目副編、他数人のアニメーター…
アニメックに関係してなかったら、一体どうなってたんだろう?とか
軽く妄想してみた。 マイペース塩田君
って仕事おせーからマイペース塩田って言われてたんだろうか? 三重県伊勢市の手前の田舎町にあるマン●書房に確か一冊だけあったぞ〜♪
そんなことより昔、これに載った富永みーな、笠原弘子・・・あと一名忘れたがw
ブルマ姿のグラビアがあって中学生時代の貴重なオカズだったw アニメックの関係者は今からでも遅くないから高橋御大にキチンと謝罪しろよ
ガンダムが途中で無理だと放り投げたものをダグラムが上手く完結させたからといって逆恨みしてんじゃねーよ
反動でZみたいな失敗作を富野監督作だからと意地になって持ち上げていたのは本当にみっともなかった でもレイズナーはしっかり特集してたよね
展開は遅いけどダグラムほど致命的ではないとか褒めて、ダグラムには相変わらずディスってたけど 同じく高橋作品であるボトムズに関しては
「そもそもあれはロボットアニメじゃない、論ずる事はない」
と沈黙してたな
設定資料載せたり関連商品の宣伝だけはしてたけど ダグラムのデザイン設定資料をぼろくそにけなした特集があって、翌月詫び文が載ってたことがあった。
なんか学生かなんかのバイトスタッフの暴走だったとか何とか書いてたような >>274
三重県には昔MANY○ってチェーンの中古本ショップがあって
ツタヤなんて比じゃない程のマニアックな本を置きまくってたな
白子店と平田店が最強だった
俺もアニメック初め、80年代のアニメ誌を買い戻したわ
捨てて後悔してたところだから、見つけた時には嬉しくて半泣きになった 今の時代にアニメックがあったら…扱う作品がなくてやはり廃刊するだろうな。 細田あたりをノンポリとして盛大に叩いてたかもしれない 結局アニメックが“ガンダム”という重力に魂を引かれたオールドタイプだったという皮肉さw ガンダム(富野)に縛られ続けた結果自滅したというのは事実かな
最後までガンダムにこだわってたよねアニメックは
既に編集に碌な人材も居なくなって外部に頼るしかなかった末期までガンダムを崇拝し続けていた
あの執念は一体なんだったのだろうか というかエロアニメがかなり勢い増してきたのと
あからさまな萌えオタ受けにアニメの潮流がシフトしちゃったのに追従できなかったんじゃないの
1986年頃にはアニメに対する批評なんてもう消費されつくしちゃってたし 理屈っぽいというか硬い本がもう受け入れられなくなっていった感じだよね。 アニメ雑誌が急速にキャラクターのグラビア雑誌化していったしね セーラームーンのブームで、美少女の活躍するアニメが主流になって、
「可愛いは正義」ってことになって理屈なんて吹っ飛んじゃったw 80年代後期はもう、消費文化まっさかりで
ネアカネクラでレッテリングしまくりだったかなあ
音楽や映画でも評論研究なんて斜陽になっちゃったし
元気なのはロケノンやミュージックマガジンだけだったし まともに読めたのはせいぜい31号くらいまでで
月刊化してからは青臭いオタクが自己陶酔して記事かいてんのか
ってくらい薄くなってったからなあ 月刊誌すると記事が薄くなるというのは特撮本の「宇宙船」も同じだったな おれは月刊化以降しか知らなくて
イベント情報やゼネプロのコーナー目当てで買ってた 「 ̄ `ヽ、 ______
L -‐ '´  ̄ `ヽ- 、 〉
/ ヽ\ /
// / / ヽヽ ヽ〈
ヽ、レ! { ム-t ハ li 、 i i }ト、
ハN | lヽ八l ヽjハVヽ、i j/ l !
/ハ. l ヽk== , r= 、ノルl lL」
ヽN、ハ l ┌‐┐ ゙l ノl l
ヽトjヽ、 ヽ_ノ ノ//レ′
r777777777tノ` ー r ´フ/′
j´ニゝ l|ヽ _/`\
〈 ‐ 300達成 lト、 / 〃ゝ、
〈、 .lF V=="/ イl.
ト アニメック ニヽ二/ l
ヽ.|l 〈ー- ! `ヽ. l
|lばんざい◇! 、_ノ ヾ、!
|l__________l| \ ソ ラポートが死んだのは00年代入ってからだけど90年代で既にやばくなってたよね
各種ムックの内容もどんどん陳腐化していって
もう文章もイラストも描ける人間が居なくなってた 良くも悪くも80年代の同人批評文化が生んだあだ花だったなあ
批評が退潮してオタの中にミーハーが混じり始めて
全てが終わった 池田憲章も元気だったしな
スーパードラマTVのSF番組解説役から外されて10年くらいになるけど今何やってんだろう 数年前に近影撮られてたけどびっくりするくらい老けこんでたな ま氏は元々怪獣オタだったそうだから特撮の記事にも積極的だったのか
平成ゴジラ評も拝見したかった アニメックの店って新宿御苑近くの茶色っぽいビル(マンション?)の2Fだったと思うけど、
そこに移転する前は近くのビルの半分地下に入るような作りの店が多分最初だよね。
35年くらい前の事だから誰も知らないかな??? >>282電ライナーでタイムワープ並みの亀で恐縮だが、そうそう〜!!
渕崎!!
とりあえず当時は脚が適度に太けりゃ、ブス(失礼!!)でもオカズになったんだよ!!
もちろん永野嫁のチャムのコスプレもオカズにしたよ!!
変態中学生だろ!! アニメック末期とはいえ、ポリアンナをしっかり評価するライターがいてくれたのが嬉しかった エヴァがあと10年早かったらな。便乗して持ち直したかもしれん。 アニメックがまだあったなら、例のAV出演疑惑の声優のことが読者欄で
あれこれ取り沙汰されたかもしれんな〜。
特に女のアニオタは当時は頭カテェのが多かったから
「夢を与える声優さんがあんな仕事をしてたなんて許せない!!」
などと投書してたかもしれんw
AVも夢を与える仕事なんだがw 編集は編集で「世の中そんなものですよ、現実をみましょう」と返しただろうな
夢見がちな若年層にも厳しく接するというある意味では良心的な雑誌だったのかも知れん http://www.nicozon.net/watch/sm4891568
↑アニメックで検索してたら、こんなスゴイものが出てきたわ。
当時厨房だったけど、あまりにも懐かし過ぎて、感動するやら、切ないやら。
34年も前の放送なのに、あまりに鮮明で、ほんの数年前の放送のように思える。
番組ではこんなにもみんな元気なのに、りん子さんは数年後に行方不明。
おたけびで有名な、俺が大好きだった秋山るなちゃん(はるか年下なのにスンマセン)は
もうこの世にはいないんだねえ(´;ω;`) ラジオアニメック聞いたことなかったんでこれは助かる 東海ラジオの番組として肝付+るな、ついでにりん子の三人でやってたころが一番良かったな。
ニッポン放送に移り、二人が下ろされてはた金がメインになってからは、
制作会社と関連商品会社のPR番組色が濃くなりすぎて面白く無かった。
ところで、東海ラジオ時代はOPとEDの曲が「Doc」、小牧さんのコーナーのテーマ曲が「Dr.Macumba」。
選曲者の人、アール・クルーが好きだったのかな。 アオイホノオでダイコンフィルムのビデオ販売のくだりで
アニメックの名前がちらっと出てきてくすっとした
ゼネプロが単独コーナー持ったのもそれが縁だったのかな 当時はルックルックこんにちはのOP・ED曲でDOCが使われていたから、
その影響だったんじゃないかな?
週刊ラジオアニメックが終わって、ラジオアニメック・決定!アニメ最前線に
なってからは10回も聞かないうちに聞かなくなってしまった。
週刊ラジオアニメック時代よりも出演者が多くて豪華な顔ぶれなのに、
とにかく番組が面白くなく、つまらなくて徐々に聞かなくなってしまった。
アニメトピアとかアニメNOW!とか色々あったけど、俺にとってのアニラジは
週刊ラジオアニメックただ一つだけだったな。
とにかく肝付兼太と秋山るなと岡本りん子の3人の絡みが絶妙で面白かったんだと思う。
最初は秋山るなちゃんが好きで聞いてたけど、今思えば、肝付氏のMCは最高だったと思う。
リスナーを飽きさせない何かを持った名司会者だった。
決定!アニメ最前線にしたのは本当に大失敗だったと思う。
決定!アニメ最前線が終わって、2年ほどで月刊アニメックは休刊してしまった。
番組が週刊ラジオアニメックのままで行っていたら、月刊アニメックの休刊は
もっと先になっていたように思う。 東海ラジオでやってたのか・・・
地元なのに全然気が付かなかった >>320
自分は「決定!」以降しかしらない。生放送で、野球の延長戦で中止とか15分に短縮とか度々あったね。 「週刊〜」は東海ラジオ単独で始まったんだっけ?
大阪ではOBCの土曜日夜で、途中からの放送だった。
「アニメトピア」が日曜夜に移動した後の枠だったと思う。
35年前の大阪は、アニラジが土曜夜に固まってたな。
「アニメNOW!」「アニメシティ」も土曜だった。 >>322
週刊時代の方が番組の完成度が高く、全然面白かったんですよ。
映画でも二作目より一作目の方が遥かに面白かったという事が多いでしょ。
まさにそんな感じ。 >>323
単独じゃないんじゃないかな?
アニメトピアの方が一年くらい放送開始が早かったから、週刊も最初から
大阪で放送されてると思われ。
今思えば35年前はアニラジ戦争が勃発してたな。
でもずっと聞いてたのは週刊だけだから、週刊が一番面白かったんだと思う。
というか、番組の完成度が高かった。
他のはずっとアニメ声でしゃべくってるだけとか、MCがちっとも面白くなかったりとか、
全体的にまとまりがなかったりとか、聞くに堪えないのが多かった。
決定!にしたのはまさに改悪だった。
ラポートさんの大失策だったと思うね。 メインパーソナリティのはた金がアニメ業界外の人で、
アニメに詳しい訳でも思い入れがある訳でもなく、
「仕事なんでこの番組やってます」感をあまり隠さなかったのも、
番組が白けた原因だと思う。