>>49
イタイ結婚観と見下すのはいいけど、ここで問題にしてるのはむしろ五右衛門の結婚観。
つまりキャラクターとしての行動が無理があるということをいってる。
つまり無理を通すほど、うまく嘘をついてくれと。
つけないのなら、こういう題材には手を出すべきではなかったといってる。

破綻してないというのならなぜラストで、あっさり修行のたびに出た。
そんな結婚ないわ。

「五右衛門は風魔一族から命がけで女とお家を守る、その理由として「結婚」したからという設定がでてきた。
そしてその結婚の重みに耐えられるだけの描写がされている」
↑これがこのスレのファンのスタンスだよね。
だったら、その描けているはずの「結婚」の最後の処理が
「修行がたりんでござる」でおさらばって、物語の畳み方としてひどすぎるだろ。
このひどいラストの処理だけでも、それまでの描写がいかに薄っぺらだったかを物語っている。


それとお宝と風魔を並べて、風魔のダメさをうやむやにしようとしてみたいだけど、
お宝に関しては、キャラの面で風呂敷広げてないので全然いいんだよ。
ルパンには大きく分けて能動型と受動型のエピソードがあって、
お宝返却大作戦はそもそもが、行き当たりばったりでルパンが行動してる巻き込まれ型(受動型)のエピソード。
そのメインのラインに、建築家の女の夢を絡ませて、ルパンらを狂言回しの位置に配置してる。
テーマといえるものなんかないよ。
あっちもこっちもおいしいところをちょっとつまんで配置した荒唐無稽アドベンチャーというだけで、つまりそういうジャンルなの。
風魔は違うよ。
冒頭で五右衛門の結婚式という意味深なことをバーンとぶちあげたんだから、
「それ」を「それとして」描いてくれないと映画として成立してない。