【聖書】トンデラハウスの大冒険【三部作】
・アニメ親子劇場(総合)
・トンデラハウスの大冒険(新約聖書)
・パソコントラベル探偵団(旧約聖書)
見ていた方もいるのではないでしょうか。
トンデラハウスは歌は覚えてるんだが内容はもうまったく覚えてないな・・・
パソコンのは内容ちらりくらい・・・ トンデラハウスは、家がタイムマシンで設計ミス?で聖書の世界に飛んでしまって
なかなか現代に帰れない。 そこで様々な聖書の話に出くわす、という設定。
いんちき宗教の宣伝スンナよな。
原因結果の法則を無視した低級宗教で人を洗脳すな!。
宗教批判の原理。
1理証・文証・現象
2経・機・時・国・教法流布の先後
3五重の相対
(内外相対・大小相対・権実相対・本扁相対・種脱相対)
4五重三段
5四重興廃
6三十秘伝などがある。
一番簡単なひとつを用いて例を挙げて内外相対限定で論じれば。
内外相対とは
内道と外道の比較である。内道とは仏法などのことで、外道とはそれ以外の思想をさす。
バラモン教・キリスト教・儒教などがこれにあたり、この比較の基準は因果の理法にある。
仏法は因果の理法を根幹とした思想をもち、要因があれば必ず結果があるととき、
これが一法則ごとに定まっており、科学的である。
すなわち、水素の二堆積と酸素の一堆積と化合すればかならず二堆積の水蒸気がえられる、
これが科学で法則は時によらないのである。
いんちき宗教を広めようとする人間から庶民を守る2へつずく。 同様に、仏法の法則も、同一原因は同一結果を時とか所とに関係なく
現すゆえに科学なりと主張するのである。
外道はこの原因結果を無視し、はっきりしていないから
ゆえに内外相対では内道より劣るのである。
以上、これ以外の全てを評価して宗教がいんちきと判断し、君らいんちき流布をやめるよう通達する。 キリスト教では信仰が深まれば死に直面しても驚かないとか、不安に絶えうるかとかいう議論が
があるがmそれは全てあきらめの結果である。
このようにキリスト教では現実の生活を変えられる力はない。
現世の宿命すら転換できるわけがないのである。
まして天国などという来世の保証など及びもつかない話であり、それを信じた人だけ救われ、
信じないものは救われない、永遠に罪の子となり終わるのだから、反対するする人も罰の現象に
よって必ず救うという仏法思想とは天地の開きがある。
そこでキリスト経の説くところを仏法思想で2.3比べてみる。
キリスト経は唯一絶対神が全て創ったと説く。そして神は全知全能完全であり、愛であり全であると解いている。
大体その神の実体、存在の因果などはまったく明かされていない。
本当に神が創ったのならば、なぜ生まれながらの不平等や不幸になく宿命になく存在ができるのか、
いったいどのように説明できるのであろうか。 三世にわたって、生命の原因結果の因果を解き明かして、因果で解決する仏法に対し低級なのである。
キリスト経は罪を重大視するが、不幸の原因は原罪とし、人は生まれながらにして罪人だと決定し、それに世間法や国法をいれて
みな罪の範囲内にいれ、それを消すために告白という形でざんげさせる。
しかし、全ての不幸の原因は生命と宇宙の法則と因果の法則(ホウぼう)などが因になってこるものである。
自ら作っきたいじょう、必ず自分が受けて消していかなければいかなければいけないのが公平な因果な理法で、
単なる告白や他人を愛したり許したりすることで消える道理は成り立たない。
キリスト経ではお話にならないような教義を立てているが、生命とは何か?、
死後はどうなるか?現在の幸不幸は何によって決まったのか、こうしたあらゆる生命の状態を因果の上から立証し、
原因を考え、因果の上から解き明かしその上で現在の宿命を打開して宿命を変えていこうとするものである。
キリスト経の天国と方便権経の念仏の西方浄土の架空の話に過ぎない。 説明しようとすると、
小説本、200ページが必要であり、わずか4.5スレでは難しい。
繰り返し言う、君らキリスト教信者、人をだまし不幸に導くことはやめてほしい。
君らだけでキリスト教やってくれよな。
繰り返しいう。
いんちき宗教の宣伝するなよ。
反論してみろよ。
クリスチャンが・・・。
人をだますな!。 ついでに、、、私がこのスレを立てましたが、クリスチャンではありません。
単なる一人のアニメファンです。
5-9のような書き込みがあることは予測していました。
クリスチャンではありませんので、キリスト教を擁護する気もなく
面倒で興味もないのでこういう発言は読みません。
もうひとつ足すけれど。
上に上げる道理に対して反論できなければ、
キリスト経を流布することは不可能だということを足しておく。
理由は
人間は馬鹿ではないということ。
それより後でなければ後でもない。
人々が背負っている宿命を変えていく作業は簡単なことではない。
苦労を背負い、悩みを背負い人生を歩んでいる人たちがいる、
そういう人たちを逆に不幸に引き込むことだけはやめて欲しい。
言いたいのはそれだけだ。
教会では見せるところも多ったでしょうね。
割と最近、DVDも発売したようですし。