【ヤンマだ】ミクロイドS【アゲハだマメゾウだ】
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なぜか立ってないので立てました。
原作/ 手塚治虫
制作/ 東映動画
脚本/ 辻真先
演出/ 明比正行
作画/ 我妻宏 だから、ミクロおいど と発音してはならないのだ。それは誤解を招くであろう。 芋虫だったヒロインがさなぎになって羽化するとか、
さなぎになって羽化すると思ったら、寄生バチに身体を食い漁られていて、。。。
昆虫の話も結構グロいよ。 アゲハが産んだ卵が孵ると、中から毛むくじゃらの芋虫が出て来て卵の殻を食べて、それから、。。。。
大自然の神秘、生命の神秘、昆虫の生命、ああ素晴らしい。 食事時に、バッタとか蠅とかが群れになって飛んでいる番組を流すのは、あまりよくない判断だと思った。 昔は「驚異の世界」とか「知られざる世界」とか、
そういう番組が食事時にバンバン流れてたよ トイレット博士ってスポンサーがどこで、何曜日の何時ごろ放送してたんだっけな。 手塚先生ってとりい漫画をネタにしたことあったかな?
先生絶対ああいうの嫌いそう 昔、どれかの漫画指南の本に、「下品な漫画を描いてはいけません」と書いていた。
多分まだ、悪書追放運動の火が消えて居なかった時期にかかれた文章だろうし、
ハレンチ学園の登場前ぐらいかも。
要するに糞や小便の話をネタにして笑いをとるようなのはダメだということ
だろうと思う。 逆に「徹底的にお下劣な漫画を描こうと思います」と言って「ドン・ドラキュラ」を描いておられた それはずいぶん後の時代になる。
多くの人は知らない過去の話になったが、
漫画家はPTA運動でやり玉に挙げられていた時期があり、そのころは
漫画家という職業を防衛する為にかなり自己抑制的・防衛的・控えめに
表現を押さえて作品を描いていたのだ。昭和の30年台から昭和の40年代
の最初の数年間はそんな感じだった。
同じ頃アメリカでは(というか日本がアメリカのマネをしたんだろうが)
やはり漫画が社会から指弾、糾弾、抑圧されて、それ以前の自由さがなくなり、
萎縮してしまった。日本に較べてアメコミはそれまでの勢いを失ったのだと思う。
おそらくその背後には、映画産業とかテレビ産業などが宗教系を煽動して
政治的に動いたのだと思う。1つの要因は日本からテレビアニメが流れて来て、
それから自社の産業を防衛したいディズニーなども政治的に動いて日本のテレビ
アニメをアメリカに入れないように動いたと思われる。 そういうのに反発した大阪の漫画家勢が劇画というジャンルを打ち立てて
漫画界を席巻していくんだよね。手塚先生もかなり劇画は意識してたな もともと劇画が想定した読者は、中卒などの貧乏な下層の労働者層だった。
少年少女向けじゃ無いから内容にPTAは本来関係がなかった。
貸本の場合には、貸す側が相手をみて、小中学生には貸さないなどの
歯止めが掛けられたりもしていた。地方では書店は小規模で、
定期刊行物の雑誌は店屋に予約を入れて購読し、客がそれを
受け取りにくる・あるいはサービスで書店が配達に回るという
やり方で雑誌が売られていたのです。都市部とは事情が違った。
エログロ系は書店の奥に置かれていて店員が裏からとりだしてきて
渡すので、普通の目にはおおっぴらには触れないなど。 え? 子供は読めなかったん?
それはホンマに大人向けやったのね。 地域にもよるかもしれんが、昔自分が小学生だったころに、ほぼその地域で唯一の
本屋(個人経営)にいって、少年マガジンを買おうとしたら、こんどからその本は
子供には売れなくなったんだといわれ、買うことを拒絶された。アシュラだったかなぁ?
なんだかがPTAで問題になったから。
そのほかテレビアニメで「忍者カムイ」だったかなを何回目からかPTAが見てはならない
番組に指定して、学校でも見るなといわれたし、回覧板で親に子供にみせないで下さいと
いう触れ回れが来た。そこで親が居るときには観られなくなってしまったのだ。
「部落」とか「非人」という言葉が出るのがPTA的にはNGでカンに触ったらしい。
だからカムイのテレビアニメはごく最初を観ていた記憶があるだけで、最終的に
なにがどうなったのかを今日に至るまで知らない。そのうち全体をネットで見る
機会があるかなと思っているが、なかなかそうならない。 そのへんの有害図書排除運動は共産党が中心になってずーっとやってるね
最近は萌え絵が標的になってるな 905さんの話は初耳やな
昔は厳しかったなあ
といって今は今で
視ろと言われても視たくもない
つまらんアニメが多いが。 「ミクロイドS」は土曜夜8時半という特殊な時間帯放送だったな。「8時だヨ!全員集合」にぶつけたわけだが、
PTAどもはドリフのほうを叩いて「見てはならない番組」にしてたね >>908
全員集合は視聴率50近く行く時もあった超お化け番組だからねえ
見てる数が全然違う
小学生のほぼみんな全員 全員集合見てたし そりゃあPTAはこっちたたくよね
自分はキューティーハニーも見たかったので 両方チラチラチャンネル替えながら見てたなあ その時代はダイヤル式チャンネルだから、ガチャガチャガチャガチャチャンネル回して親に怒られるパターンw サスケなんて刃物を子供が振り回す、血はでる、首は飛ぶ、爆殺あり、毒を盛る話あり、
斬り殺す話あり、だったが、なぜかPTAはテレビの視聴を禁止しなかったのは何故だろうな。 当時は普通に暴力描写や残酷描写はTV局が煽ってたからね。70年代末からPTAとか共産党の表現物恫喝が激しくなった 昔は、子供に刃物を持たせない運動というのがあったんだよ。それまでは
小学生などは小刀を持って学校に通うのが普通だった。鉛筆を削るなどに
使うから。 肥後守も持ち込み禁止になって、鉛筆削れない子が増えたんだよね アカによる刀狩りだ 小学校の時はいろいろと厳しくてな、
学校に癇癪玉とか爆竹、ロケット花火、銀玉鉄砲、パチンコ(ゴムで物を飛ばす)、
メンコ、花札、トランプ、漫画雑誌、漫画本、などを持ち込んではいけないという
規則があった。腕時計も(当時はメカで高かったこともあり)だめ。カメラもだめ、
だめだめが多かった。 危険物は仕方がないね。高級品は紛失の恐れがあるし。漫画は教室の後ろの本棚においてあったけどなあ 漫画が違うがハイスクール奇面組の
カワユイてヒロインがナイフで鉛筆削ってて
それこそ914さんの様な事を作者が欄外で語ってた
アカとまではゆうとりゃせんが。 漫画雑誌が学校に持ち込めたのなら、自分がとっていない(昔は地方では雑誌は
書店に頼んで購読するものだった)雑誌をクラスメートの間で回し合って観ることで、
自分の家では1誌しかとっていなくても、複数読めるという体制が可能だったが、
それは学校側によって徹底的に潰された。そうしてちっとも面白くもなんにもない
下らないどちらかというと左翼系の児童文学者の書いた児童文学書などを読むように
強制され、感想文を書くことを強いられるなど、ほとんど思想弾圧も同然だった。
児童文学のクズ作品として、夏休みの感想文を書くための推奨の本は、作者と題名は
忘れてしまったが、思い出せるものとしては。
1.身体がどんどん大きくなってしまう(少年)がどうこうする物語で、
身体のサイズが家を越えてしまってもまだ成長する。。。
2.言葉をしゃべれるライオンが(研究所から?)逃げて、少年と友達になるが、。。。。
(たしか最後は射殺されてしまうんだったと思うがはっきり憶えていない。)
3.デパートで買ったお化けを飼って最初のうちは楽しかったが、そのうち飽きてきて
押し入れに入れていて、すっかり忘れていた。あるときそうだと思い出して
押し入れの中をみたら、お化けはすっかりしなびていて(多分死んで?)いた
というエンド。
。。。。
なんだか、流行りの漫画にヒントを得たような、いい加減な文学作品を夏休みの
課題図書とかに日教組が指定して気乗りのしない子供に無理矢理読ませていたんです。
昭和40年代の前半頃。これは学校からの悪書追放運動の一環としてそういうのを
文学者が(漫画の興隆を目の敵にして)旗を振って、学校教師を護衛船団として
市場原理に基づかずに無理矢理ノルマで読ませるという文化大革命だったんです。
龍の子太郎とかもその路線上にありました。 小学6年の時だった、たしか虫プロ商事から出ていたと思うアポロの歌(全2巻だったか?)
の総集編のような雑誌大の漫画本をお金持ちの友達が持っていて、これすげえから読んでみな
といったので、学校の机の下(ものが入れられる)に入れておいたら、担任に取り上げ
られてしまい、これは没収だといってとられてしまった。金持ちの友達に、お前のへま
だから、弁償しろといわれて、あの当時幾らだったかな1冊300円とか350円ぐらいだった
だろうか、2冊分を弁償するはめになった。まだ中身はちょっとしか読んでいなかったのに。
その後に、虫プロ商事が潰れて、他の出版社(大都社だったかなぁ?)から
単行本として出たものを初めて読むことができた。ああ、小学生のうちに読みたかったね。
少年キングはなぜか自分が良く行く医者、床屋、レストランには置いてなかった。 学校に漫画本や漫画雑誌を持って来てはいけないという規則があって、
それを破った者は没収の憂き目に遭うのであった。先生が取り上げた
その本をどうしたのか、読んだか棄てたのかなどはわからない。 ちょっと下の世代ですが、休み時間でなら漫画持ち込んでても問題なかったですね~
上で書いたみたいに教室後ろの棚に漫画雑誌置いてあったし 学校が漫画を完全排除していた時代(昭和の40年代前半)には、
漫画はどこで読むものかといえば、床屋の番を待つ間、レストランで料理が出てくるまで
待つ間、歯医者の待合室、耳鼻科の待合室、内科の待合室、皮膚科の待合室、小児科の待合室、
眼科の待合室、旅館、そんなところだった。小学館の学年雑誌と、学研の科学は親の金で
買えたが、自分の小遣いがほとんどなくて、それいがいの週刊誌も月刊誌も小学生のうちは
全く買えなかった。 貸本屋はテレビが普及してからは既に自分の育った地域では無くなっていた。
そもそもかつてあったのかどうか。 昭和60年ごろまではあったの見たな~ 今はレンタル屋が単行本貸しやってる ある程度人が多く集まるようなところ、
駅前の繁華街とかでないと経営の維持が
難しかっただろう。
一時期平成の時代にも、飲食店などに
漫画の単行本セットをレンタルする
というサービス(これも一種の貸本屋)
があったが、多分廃れたんじゃないかね。
いまは携帯コミックが蔓延りだしているし。 メジャー誌で王道走ってた手塚先生が貸本作家たちにまくられていったのも歴史だよね~ でも 客層が違う物はあったと思う
ホンマに捲られただけなら
雑誌から消えていったろうけど
結局 その時代でも子供向けだけでも
サンデーやチャンピオンやキングでは
連載してた 冬の時代も十分仕事してたって。 うん、そういう貸本のノリを取り込んで対抗してたのは手塚先生のすごいとこよね 冬の時代には青年誌が台頭していて、そちらにも沢山連載をしていたため、
少年誌の仕事は減ったし、どうしても少年向けに能力を割く割合が減る。
あるいは少年誌でも劇画の傾向が台頭していてそういうのにはたして競り合って
良いものであるかは、かつて悪書追放運動漫画弾圧運動の矢先に経った経験の
あるものにとっては、慎重にならざるをえなかったろう。つまりイケイケどんどんで
少年誌の漫画がエスカレートしたら、どこかの段階で再びPTA運動に火が付いて
それこそ焼け野原にされてしまうかもしれないし、自分が矢先に立たされるのは
見えてた。だからどうしても抑え気味にせざるを得なかったはずだし、二番手に
甘んじなければならないかったが、それでもやっぱり糾弾されたのだ。
たとえば「アポロの歌」とか。
はっきり言っていい年をした大人は大人向けの漫画を描く方が楽なんだ。
まあ幼児を子供に持ったらしばらくは子供の気持ちに付き合えたりもする
けれども、それも長くは続かない。子供の漫画で人気をとるのは難しい。
何が難しいかというと、理屈やストーリ構成のうまさなどは必ずしも
得点になるどころか理解が難しいといって敬遠されるリスクがある。
ではかわいらしさを売りにすればいいかと思うと、妖怪物とか怪獣もの
とかその逆の路線が人気を得たりもする。教養を前提としてそれを
踏まえた上でなら面白いといった作品は低学年には受けない(七色いんことか)。
大きなものとか大きなものを動かす漫画はウケが良いようだ。
しかしそればかりではマンネリになるし、漫画家も沢山いる。
どうすれば良いかの公式などない。流行もあるから長期連載が
尻つぼみになることもよくあるし、長期連載は低年齢の場合
年齢が低いと物語の最初を知らない・読んでいない年齢だったり
する。。。。。 それでも御大は踏ん張りつづけた
遺作となる「ルードウイッヒB」は
子供向けと言えば子ども向けやったし。 ミクロイドSも変身ブームに押されて無理して描いた企画ものだよね。サンダーマスクとかモロそれよね サンダーマスクはコミカライズを頼まれて描いたらしいが。 鬼丸大将もそうだという。だが企画がポシャった。
差別反対を錦の旗にするたかりグループの
潜在的な攻撃をテレビ局は恐れたから。 >>925ボインをモミモミしながらの手淫はすぐ果てるよ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。