それはまだ38mmボールにスピードグルーありの1999年の出来事であった。
世界クラブチーム選手権の予選で、とうに世界の第一線から退き、日本リーグ日産自動車の一員としてプレーしていた陳龍燦が、
その年の世界選手権個人で優勝する劉国梁を一方的なスコアで破ったのである。
しかもその内容は、陳のツッツキを劉が持ち上げられなかったという衝撃的なもの。
用具もボールも変わり、もうそのような凶悪なツッツキは見られないことを思うに、
このときの陳のツッツキが卓球史上最も凶悪な打球という説を私は支持するのである。