全中 3年連続優勝
2年連続 松下浩二と決勝

インハイ 2年連続三冠王
 1年の時は学校対抗優勝(熊谷商業)、個人シングルス準優勝
 3年の時には学校対抗、個人ダブルスで攻撃の山口(のち中央大)とダブルスを組み、ほぼノーカットの攻撃型ダブルスで優勝
 (当時は4単1複、単複兼任は一人まで可能、すなわち各チームは学校対抗で「ダブルス要員」がいた)
 チーム2番手には野中(のち専大、前陣速攻)
 2年連続 個人シングルスで松下浩二と決勝 当時は「オールラウンドの渋谷、ロケットドライブの松下」との評
国体少年男子では、熊谷商業単独の埼玉チームは松下兄弟擁する愛知に決勝で敗れる
当時は5単で5人目は1〜4人目から兼任でき、渋谷は松下雄二と二回当たって一勝一敗
大学進学前に、裏裏 からバック粒高に変更
高三で全日本ベスト8

松下兄弟とともに明治に進学(すなわち、当時のトップ3が全て明治に)
関東新人戦では、渋谷、松下浩二を連破した松下雄二が優勝
インカレでは、松下浩二とエースダブルスを組み、1年、4年で優勝
全日本学生選手権では、4連覇した楊(東北福祉大)がいたため、優勝なし

川崎製鉄千葉に就職