すてきオカメインコpart53(●・e・●)
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最高のコンパニオンバード、皆さんのオカメインコ達について
雑談、相談、質問、自慢したりするスレです。
オカメインコさんの話題であれば名無しで何でもOKですよ。
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※前スレ
すてきオカメインコpart52(●・e・●)
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/pet/1561628827/
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すてきオカメインコpart37(●・e・●) [無断転載禁止]©2ch.net
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/pet/1477064893/ >>874
オカメは入院中です。
昨日も面会に行きました。
先生曰く、「鳥の神経障害は稀で、全く原因不明。栄養補給しながら、様々なアプローチしていきます。」との事でした。
皆さま、ご意見ありがとうございます。 うちのオカメ、鼻の穴と穴の間くらいのところに
黒いイボみたいなのが出来た
病院行きたいけどなかなか平日に時間がとれないまま
年末年始に入ってしまった
今週病院行ってくるけど
ググっても似たような症状がなかなか出てこないし
なんなんだろう 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 パニクってぶつけて怪我してカサブタ出来たのとはちゃうんか >>886
そう、最初はそうだったの
放鳥中にパニくって壁に突撃した
それがイボ化して次第に大きくなって腫瘍みたいな感じになってきた
千昌夫みたいな感じ
傷口から菌でも入ったかガン化でもしたかかな 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>887
今時土日やってない獣医ってそうそう無いと思うんだが >>882
ありがとう
やっぱりそうかな
胃が弱ってるらしく体重も減り気味な年寄りオカメに
カロリー高め&丸飲みじゃないヒマワリはどうかなぁと思ったんだけど
ペレットは少ししか食べないし、病院で勧められたオーツ麦たくさんあげてて
好物だからよく食べるけど、他にもいいものないかなーと思って 【研究】IQが低い子どもは、大人になるとネトウヨになって人種差別やヘイトスピーチへ向かう
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1442724728/
■IQの低い子どもは、偏見を持つ大人になる可能性が高い
いうまでもなく人種差別だけではなく宗教、性的指向、性別、
思想、障害、職業などにあらゆる差別的な発言や行動はどの国でもあることで、
それぞれの国の事情は大きく違うため、"国際標準"を語ることは不可能に近い。
しかし、こうした行動に対する「不快感」はこれまたどの国にも存在する。
そうした感情と深く関わる研究もある。
オンタリオのブロック大学の心理学者であるGordon Hodsonを研究リーダーとするチームの研究によると、
知能(IQ)の低い子供は、偏見を持つ大人になる可能性が高いことがわかった。
また、知能の低い大人は、社会的に保守的な価値観に引き寄せられる傾向があり、
そのような価値観は、今度はヒエラルキーストレスや変化への抵抗心を生み、偏見を持つ一因となるという。
Hodsonは 2012年1月26日『Live Science』に寄稿し、
「偏見とは極めて複雑で、多面的なものです。だから先入観をもたらすのが何なのかを明らかにし、
理解することが非常に重要なのです」
偏見が他の政治的信念ではなく、右翼的な考えを持つ人に多く見られるということは、
世論調査と社会学、政治学の研究で示されることがしばしばあるが、知能との関連性に及ぶ研究は珍しい。 >>890
麻の実は?
ひまわりより小さくてアミノ酸多くて栄養価高いよ 麻の実は火が通されてるから酸化しやすいのがネックだな 巨大与党でヒトラー化する安倍首相
ナチスとヒトラーはこうして独裁体制を築いた
「ナチスの手口に学んだらどうかね」――。麻
生副総理が4年前に発した妄言だが、
安倍独裁の完成が近づく今こそ、国民は「ナチスの手口」を学ぶ必要がある。
権力掌握のためにナチスとヒトラーが用いた手口が、ドイツ国民は内外の敵に脅かされているというプロパガンダだ。
その敵とは「第1次世界大戦の戦勝国に押しつけられたドイツ制裁のベルサイユ体制」であり、
「戦争の惨劇を利用して富を貯め込むユダヤ人」であり、「台頭する共産主義勢力」である。
ヒトラーは演説で敵の脅威を散々あおり、民衆の理性より感情に訴えかけた。
危機に怯える国民の感情を治安立法や軍備強化に悪用し、着々と独裁体制を築いていったのだ。
典型的な「ショックドクトリン」であるが、ヒトラーがあおった敵をそれぞれ「押しつけ憲法」
「中国人と朝鮮民族」「反安倍のリベラル派」に置き換えれば、今の日本の政治状況はナチ前夜とそっくりである。
そして安倍は今回の選挙演説で、ヒトラーが独裁のために乱用したワイマール憲法の「大統領緊急措置権」に相当する
「緊急事態対応」には一切触れず、北の脅威だけを連呼して突破した。まさにナチスの手口である。
前出の石川裕一郎氏はこう言った。「危惧されるのは、世相までナチ前夜に酷似してきたことです。
『日の丸』は国民統合の象徴のはずなのに、まるでナチス旗を持つか、持たないかのように国民を分断する道具になっている。
これらの不穏な空気とナチス独裁を許した当時のドイツの世相はどこかリンクしているように思えてなりません」
理性が感情にかき消される社会の行き着く先は独裁しか待っていない。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/216186/5
https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/216/186/7648c4fb9a621252573826c1017785c820171024130850097.jpg フォニオパディのあんな小さい粒をオカメが嘴で皮剝いて食べるの器用だなーと思う オカメが温めている無精卵が割れてしまった
3個産んで今は2個残っているのだが、このまま抱卵を続けさせていいの?足りなくなった分を産み直すとかなら相当負担掛かるよね? 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>884
参考まで。
うちのは15歳ですが、数年前に鼻に異物が出来たので病院へ行きました。
リスクは覚悟で手術して取り除く方法もあると言われ、絶望的に・・。
先生が「手乗りですか」と聞かれたので、オカメを籠から出し、
先生がオカメを掴んで(ギャーって悲鳴)ピンセットで触ると、
ゴミの塊かな?って言って、取り除きました。
結局は鼻汁でゴミが固まっただけでホッとしました。
http://uproda11.2ch-library.com/e/e00271313-1579097281.jpg 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 大変です(●・e・●)
僕たちの故郷が燃えています
オカメインコ基金を設立して仲間を助けてあげてください 「日本人でよかった」という言葉は、自分が日本生まれの日本人であること以外に誇れる要素、自信を持てる要素が見当たらない人には、魅力的に響く。
孤立や孤独から解放され、立派な集団の一員だという「絆」意識が生まれる。これだけを切り取れば、一見問題がない。「これの何が悪いのか」と居直れる。
国家や民族への帰属意識を過剰に抱くことの危険性は、歴史を段階的な「流れ」と捉える思考習慣がなければ理解できない。
戦後のドイツは、単に「ホロコーストをした」「戦争をした」という結果だけでなく、そこに至るまでの段階的な「流れ」を反省の材料としてきたが、日本はそうした作業を怠ってきた。
「戦争をした」こと、軍国主義が支配したこと、滅私奉公型の「愛国心」が国を暴走させたこと等の「結果」は反省したが、そこに至るまでの段階的な「流れ」、
1930年代の日本国民の思考形態の段階的変化についての批判的な検証を徹底的にしなかった。それでまた同様の思考形態の段階的変化が起きている。 お迎えした女の子
とっても可愛いお顔なんだけど
鼻の穴がしゅげーデカい >>906
鼻の穴デカイと粟ひえきびの類が中に入るから気をつけて うちのは脂粉が鼻の穴にたまる
あんまり自分で掃除してくれないんだよ 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 鳩鳴きは何でも覚えるけど
インコ鳴きは何も話さない家のポンタ君
踏まれて死んだスペインのオカメチャン風に足も偶にビートを刻んでるぜ >>913
ほんとに小さい餌入りそうw
でもかわいいなー大きくなれよ! >>913
ヤバいw
想像してたのよりずっとおっきいw >>913
オカメってみんな鼻の穴デカいよなって思ってたけど
思ってたのと全然違ったw 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>807
804です
今日うちの子も眠りにつきました
長生き願ってもらったけど、21歳迎えられなかったよ
でもそばにいるときで、ほとんど苦しむ間もなくだったのはよかったなと思います
うちのはノーマル男子でした 人間だって80年くらいしか生きないのに
その中の20年を出会って楽しく暮らせたなんてほんと凄いことなんだよね
またいつか会えるよ 巨大与党でヒトラー化する安倍首相
ナチスとヒトラーはこうして独裁体制を築いた
「ナチスの手口に学んだらどうかね」――。麻
生副総理が4年前に発した妄言だが、
安倍独裁の完成が近づく今こそ、国民は「ナチスの手口」を学ぶ必要がある。
権力掌握のためにナチスとヒトラーが用いた手口が、ドイツ国民は内外の敵に脅かされているというプロパガンダだ。
その敵とは「第1次世界大戦の戦勝国に押しつけられたドイツ制裁のベルサイユ体制」であり、
「戦争の惨劇を利用して富を貯め込むユダヤ人」であり、「台頭する共産主義勢力」である。
ヒトラーは演説で敵の脅威を散々あおり、民衆の理性より感情に訴えかけた。
危機に怯える国民の感情を治安立法や軍備強化に悪用し、着々と独裁体制を築いていったのだ。
典型的な「ショックドクトリン」であるが、ヒトラーがあおった敵をそれぞれ「押しつけ憲法」
「中国人と朝鮮民族」「反安倍のリベラル派」に置き換えれば、今の日本の政治状況はナチ前夜とそっくりである。
そして安倍は今回の選挙演説で、ヒトラーが独裁のために乱用したワイマール憲法の「大統領緊急措置権」に相当する
「緊急事態対応」には一切触れず、北の脅威だけを連呼して突破した。まさにナチスの手口である。
前出の石川裕一郎氏はこう言った。「危惧されるのは、世相までナチ前夜に酷似してきたことです。
『日の丸』は国民統合の象徴のはずなのに、まるでナチス旗を持つか、持たないかのように国民を分断する道具になっている。
これらの不穏な空気とナチス独裁を許した当時のドイツの世相はどこかリンクしているように思えてなりません」
理性が感情にかき消される社会の行き着く先は独裁しか待っていない。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/216186/5
https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/216/186/7648c4fb9a621252573826c1017785c820171024130850097.jpg うちのぴーちゃんも昨日悲しい別れをしました。
ごめんね。またミッキーマウス歌って楽しませてちょうだいね。
うちに来てくれてありがとう。 >>924
ありがとう
うん、いつかまた会えるよね
本当に…私の人生半分弱の時間にこの子がいたんだなーって思うとすごいことだなって思います
>>926
お互い寂しくなりますね…
でもたくさん楽しませてくれたオカメさんにありがとう、ですね >>923
>>807です。そうですか…悲しいです。まだ自分も悲しみから抜け出せていません。
時間はかかるけど、少しずつ前に進みましょう。 祖父や父親から「地盤、看板、カバン」という「最強の既得権益」を受け継いだ自民党の2世,3世議員たちが、
「岩盤規制の突破」とか「既得権益の打破」などとどの口で言う。君たち自身が「生ける既得権益」そのものじゃねえか。
自民党が情実政治、縁故主義に走るのは、多くの国会議員が2世3世議員であり、自分自身が世襲という既得権益にどっぷりとひたり、その恩恵を受けてきたからだ。
この縁故主義こそが能力ある者の進出を妨げ、社会の停滞と閉塞感をもたらしてきた。森友・加計に露呈した安倍の腐敗は日本社会の腐敗そのもの
この腐敗の隠蔽のために、「日の丸」を掲げ「愛国者」を自称し、歴史の改竄にまい進する。
全国各地の経営者の二代目三代目や、自民党の若手活動家などで構成される日本青年会議所(JC)のツイッター・アカウント「宇予くん」の書き散らしたものを見れば、この腐り切った構造が目の当たりになる。
彼らは口を開けば「能力主義」を叫び、「自己責任」を強調する。しかし彼らに能力などはなく、親から引き継いだ事業と財産があるだけである。
また、彼らは責任など取ったことはなく、様々な不運と不幸あるいは政策的失敗ゆえに困窮状態にある者に対する公助を拒否するためにのみ自己責任を主張する。 >>928
レスありがとう
そうですね…少しずつ… 寝転がっていると眉毛をコチョコチョ繕ってくれるの可愛い
顔踏まれることもあって爪が痛いが >>932
私は髭を毛繕いされる。唇噛まれるよね? 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 唇噛まれるな確かにw
しかし、同じ部屋に居ると出せ出せコールが出力6、7割でそこそこの頻度で叫ばれて部屋出ると8、9割出力かなりの頻度で呼び鳴きされるんだけどこれって躾出来るものなのかな?呼び鳴きは止めれないんかな? 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 >>941
見ようとしたらもう画像消えててかなしい
見たかった 巨大与党でヒトラー化する安倍首相
ナチスとヒトラーはこうして独裁体制を築いた
「ナチスの手口に学んだらどうかね」――。麻
生副総理が4年前に発した妄言だが、
安倍独裁の完成が近づく今こそ、国民は「ナチスの手口」を学ぶ必要がある。
権力掌握のためにナチスとヒトラーが用いた手口が、ドイツ国民は内外の敵に脅かされているというプロパガンダだ。
その敵とは「第1次世界大戦の戦勝国に押しつけられたドイツ制裁のベルサイユ体制」であり、
「戦争の惨劇を利用して富を貯め込むユダヤ人」であり、「台頭する共産主義勢力」である。
ヒトラーは演説で敵の脅威を散々あおり、民衆の理性より感情に訴えかけた。
危機に怯える国民の感情を治安立法や軍備強化に悪用し、着々と独裁体制を築いていったのだ。
典型的な「ショックドクトリン」であるが、ヒトラーがあおった敵をそれぞれ「押しつけ憲法」
「中国人と朝鮮民族」「反安倍のリベラル派」に置き換えれば、今の日本の政治状況はナチ前夜とそっくりである。
そして安倍は今回の選挙演説で、ヒトラーが独裁のために乱用したワイマール憲法の「大統領緊急措置権」に相当する
「緊急事態対応」には一切触れず、北の脅威だけを連呼して突破した。まさにナチスの手口である。
前出の石川裕一郎氏はこう言った。「危惧されるのは、世相までナチ前夜に酷似してきたことです。
『日の丸』は国民統合の象徴のはずなのに、まるでナチス旗を持つか、持たないかのように国民を分断する道具になっている。
これらの不穏な空気とナチス独裁を許した当時のドイツの世相はどこかリンクしているように思えてなりません」
理性が感情にかき消される社会の行き着く先は独裁しか待っていない。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/216186/5
https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/216/186/7648c4fb9a621252573826c1017785c820171024130850097.jpg Youtubeで外人さんが「Eagle!」っつって
オカメに羽根を広げるポーズさせる訓練してるのを見て、さっそく家でも試してみたけど
両ワキに指突っこんでも全く無反応な我が家のオカメ、全然才能なさそう(´・ω・`)
しかしお腹さわると嫌がるのに、ワキの下って意外とOKだったのか うちはすぼめた手をバッと広げて軽く驚かすと
オスは何や!やるんか!みたいに少し怒って飛行機(鷹?)ポーズする
おっ、かっこいいねぇ〜!って褒めると
そ…そうか?どや?って機嫌良くなって更に飛行機ポーズをいろんな角度で決めてくれる 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 うちもそれ褒めると追いポーズ決めてくれるわw
スサーやアジの開きみたいに何か通称ないのかな 猫は撫でてると「そろそろ嫌だな」っていうの態度に出すから
噛まれる前に止められるけど
オカメはカキカキしてると予兆なく「違う!」って噛んでくる
のわりに即またカキカキしろって頭くっつけてくる
これ以外は気難しくないな 安
倍晋三。「丁寧に」の一語だけでも、その本来の意味を骨抜きにし、聞くも不快な言葉に変えてしまった罪はとても重いと思う。
「丁寧に対応していきたい」という答えは今や相手をバカにした空手形の意味しかない。元に戻すのは大変な作業だ。 オカメロスに差悩まされて新しい子迎えようと迷ってるが、
自分が先に死んだらその子は一人でどうなるんだろとかこの後必ず来る大震災時に
どのように一緒に避難すればいいんだろとか考えてしまい躊躇している自分がいる オーストラリアの森林で大規模火災が起きて10億匹の動物が死んだというけど、オカメも死んでるのかな
飛んで逃げられるから大丈夫かな >>955
わかる
私はもう飼わないと思う
>>956
中にはパニック起こして燃えてる方に飛んじゃう子もいるかもね… 祖父や父親から「地盤、看板、カバン」という「最強の既得権益」を受け継いだ自民党の2世,3世議員たちが、
「岩盤規制の突破」とか「既得権益の打破」などとどの口で言う。君たち自身が「生ける既得権益」そのものじゃねえか。
自民党が情実政治、縁故主義に走るのは、多くの国会議員が2世3世議員であり、自分自身が世襲という既得権益にどっぷりとひたり、その恩恵を受けてきたからだ。
この縁故主義こそが能力ある者の進出を妨げ、社会の停滞と閉塞感をもたらしてきた。森友・加計に露呈した安倍の腐敗は日本社会の腐敗そのもの
この腐敗の隠蔽のために、「日の丸」を掲げ「愛国者」を自称し、歴史の改竄にまい進する。
全国各地の経営者の二代目三代目や、自民党の若手活動家などで構成される日本青年会議所(JC)のツイッター・アカウント「宇予くん」の書き散らしたものを見れば、この腐り切った構造が目の当たりになる。
彼らは口を開けば「能力主義」を叫び、「自己責任」を強調する。しかし彼らに能力などはなく、親から引き継いだ事業と財産があるだけである。
また、彼らは責任など取ったことはなく、様々な不運と不幸あるいは政策的失敗ゆえに困窮状態にある者に対する公助を拒否するためにのみ自己責任を主張する。 燃えてるのはユーカリの森林だからコアラがヤバイんだな
オカメは森より荒れ地みたいなとこで
枯れ木みたいな上で群れで暮らしてる
火災そのものより砂埃や暴風、大気汚染の方が影響ありそう 鳥は空飛んで逃げられる
コアラは火に囲まれたらどうしようもない
オカメパニックもあるかもしれなけど
やつらはものすごい数で群生してるから
みんなについてけば大丈夫だと思う どっちにしろ大陸まるごと規模の火事とか食料難で死にまくるやろ ものすごい大規模に燃えてるけど
オーストラリア全土でいったらごく一部
オーストラリアってバカみたいに広いのよ なんか偉そうに聞こえるけど
ニュースに内訳に鳥類も書いてあったよ
普通に考えたら一羽も被害がないなんてあり得ないよ
豪では家のベランダにインコ遊びにくるらしいけど家が被害にあってる方いるみたいだし 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 ただ鳥の呼吸方法は肺ではなく気嚢だから、
一瞬でも煙を吸い込んでしまうと一酸化炭素中毒で気絶→焼死のような気がする
煙が迫り来る前に飛んで逃げられるかどうかが生死の分かれ道だな ユーカリの種は火事後の降雨で発芽する
引火性の高い物質を樹皮に貯めこんでて燃えやすいけど
木の内部は燃えにくくて火事でも生き残れる
火事起こして他のライバル植物皆殺しにして
ユーカリ一人勝ちヒャッハーをもくろむ酷い奴だぜ オーストラリアは日本の20倍もの超広大な土地を持つ国で、その内陸部の砂漠地帯をオカメインコは雨雲を追い求めて移動する
その距離は週に400キロと言われ、人間が野生のセキセイインコやオカメインコに会うには、遭難の危険性のある砂漠を何日も探し彷徨うしかない
ここ半年近く続く火災で被害が出ているのは、ビクトリア州の南側湾岸部の森林地帯
焼けたのは今のところ北海道強の大きさで、オカメインコの生息域とは被っていないこと、移動に長けた種であることを考えると、被害はほぼ無いと思われる
オーストラリアには物凄い数の鳥類がいるので、おそらく主に被害に遭っているのはエミュー・キジ・カッコウなんかの森林地帯に住む種類でしょう 北海道より広い範囲が焼けましたが軽微ですって言われても違和感あるなw >>968
軽微とは言ってないよ
オーストラリア国土からすると焼けたのは1/770ではあるけど、どの土地にも豊富な自然と固有種が残存する国だからね
オカメ・セキセイに限っては、今回の被害はほぼ無いだろうと言っているのよ 何故かID変わったけど>>967です
>>962ではない
>>962も軽微とは言ってないか… 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 ま、オカメやセキセイに被害があってもなくても、いたましい災害であることには違いない
生き物も植物も多くのものが失われてること考えると悲しい 祖父や父親から「地盤、看板、カバン」という「最強の既得権益」を受け継いだ自民党の2世,3世議員たちが、
「岩盤規制の突破」とか「既得権益の打破」などとどの口で言う。君たち自身が「生ける既得権益」そのものじゃねえか。
自民党が情実政治、縁故主義に走るのは、多くの国会議員が2世3世議員であり、自分自身が世襲という既得権益にどっぷりとひたり、その恩恵を受けてきたからだ。
この縁故主義こそが能力ある者の進出を妨げ、社会の停滞と閉塞感をもたらしてきた。森友・加計に露呈した安倍の腐敗は日本社会の腐敗そのもの
この腐敗の隠蔽のために、「日の丸」を掲げ「愛国者」を自称し、歴史の改竄にまい進する。
全国各地の経営者の二代目三代目や、自民党の若手活動家などで構成される日本青年会議所(JC)のツイッター・アカウント「宇予くん」の書き散らしたものを見れば、この腐り切った構造が目の当たりになる。
彼らは口を開けば「能力主義」を叫び、「自己責任」を強調する。しかし彼らに能力などはなく、親から引き継いだ事業と財産があるだけである。
また、彼らは責任など取ったことはなく、様々な不運と不幸あるいは政策的失敗ゆえに困窮状態にある者に対する公助を拒否するためにのみ自己責任を主張する。 静岡のブリーダーのとこに父ちゃん母ちゃんオカメまだ生きてるんだな
みんなのオカメは親戚かもよ 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 うちも愛知と静岡の出身
5歳だけどどこかに兄弟たちが生きてるんだろうな レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。