【意見】鳩の為に何が出来るか考えよう【愛情】
鳩レースに参加している鳩は、嬉しくなくて参加しているのでしょうか? 鳩が鳩レースを楽しんでいるのならば、いい。
でも、鳩がそれを嫌だと感じているのならば、人間の勝手で鳩にそんなものは
強要してはならないと思う。 無理やり籠に詰められて何百キロの場所に放されて楽しい訳が無い
公園の鳩を見てりゃわかる
適当に仲間と飛んでる方が楽しいだろ 推測:公園の鳩から察するに鳩は鳩レースが楽しくないと感じている。
判断材料 1 鳩は渡り鳥ではない 鳩の謎: 帰巣能力は何故あるか?
長距離を帰巣するデンショバトの能力については、太陽コンパス説、 磁力説、視力説等の多くの学説があるが、まだ十分に解明されておらず、 定説はない。
鳩がなぜ帰ってくるか?
仲間や家族の元に帰りたいから。
わざわざ引き離して知らない土地に離すのは可哀想 まぁ、鳩レースって言うのは
そう言う帰巣本能を高めて上位を狙うんだよ飼い主は、卵を抱かせたり、雛を飼育中とか平気でレースに出す。 結論: 鳩は仲間や家族の元へ帰ろうと必死で飛んで帰る。
鳩は仲間や家族と一緒にいるのが好き。
鳩のそういう弱みを握った鳩レースは人間のエゴである。
選手鳩は単なる持ち駒だから使い捨て
レース終わりには作出数の1割も残らくても
種鳩がいれば翌年はまた同じ数が
作出できるので
猛禽に食われようが迷い鳩になろうが気にしない。 鳩の一羽一羽が、仲間を想う気持ちを持っている。心がある。
けして駒などではなく、鳩が幸せに生きることが重要である。
人間の為だけの地球ではない。
鳩の為の地球でもあるのだ。 野良鳩を増やし続けてるレース鳩飼いは爺ばかりだから
鳩の世話ができるのは後10年くらいだろ、その内また鳩が平和の象徴に戻るのを待つしかない。 鳩を中心に考えると地球にとっていいはず。
鳩が食べる為の木を植え、鳩の過ごしやすい環境にする。
森が増える。
人間中心になると、環境が汚れる。何故だ? 鳩が台風の風から上手いこと隠れられていますように。 >>16
鳩に酷い事をしますね。
人間は人間にも酷いことしますし、人間がこの地球に
存在する意味はありますでしょうか?
アスファルトで土を塗り固めて。地球は厚塗りのファンデーションのよう。
鳩が幸せなことは、地球の環境がよくなること。
虐待犯というのはたいてい部落か混血君、ゆとりシラミという動物ですらない異常物体、そういう危険物を処分することが鳩をはじめとして動物の幸福に繋がります。 >>19
何処に産まれようと、心の中は自由です。
何を考え、何を求め、何を発言し、どう行動するか。
それが大事です。
環境に影響を受けるかどうか。
このフリーセックスの日本であっても、自らキリスト教に入り
心を律した生き方を選ぶ人もいます。
日本に産まれたからといって、フリーセックスで生きなくてもいいのです。
何を選ぶか自由なのです。 愛護団体や自然保護団体は強大で圧倒的な力を持ち、野生生物が自然に抑えられるように行き過ぎた自由を得た人間を軍事独裁疑似社会主義を模範とした大きな力で抑え込むべき、ナチスやポル・ポト陛下こそ愛護や自然保護の目指すべき理想である!。
>>21
ナチスやポルポトのような荒い心では真に動物を愛することは出来ません。
鳩を心から思うには、柔らかい心で、人類を包み込む愛情をもって
行動することが大切です。 人間を武力で抑え込み、民間の活動を徹底的に抑え込む、環境保護と動物愛護の原点は人間の活動を抑制することである。
徳川綱吉公は神だ。 「生類憐みの令」ですね。
しかし、人間とは、抑えてくれるものがなければ、暴走するもの。
人とは暴走機関車。
近代、あらゆる動きが活発化されて、もはや、電車の中でも休む事を
許されない。スマホあるからね。
穏やかで緩やかな地上とは言えない。
あらゆる、スピードが速く休む時間もなく、蒸気をもくもくと上げ続け
機関車は走り付ける、地球の上で。
何のために?
あらゆるものがスピードアップされて、しかし人の頭の回転が昔よりも
スピードアップしたとの報告はきいていないのですが、それを
きいているかたいますか?
機械で補っているだけかのように見えます。自殺者年間3万人をどう
とらえますか?
競争しあい挙句は殺し合うでしょう。それについていけない者は自殺です。
鳩の素晴らしさを考える余裕がある世界がいいと思いますね。 そうさ人類は
地球に一つだけの癌
♪
生態系の中で役目すらもない♪
人類なんて滅びればいい♪
元々生物の失敗作ぅ♪ 人が動物のすみやすい環境になるように、と生きればいいのですが。
人の向かう道は動物愛護ですと生態系の中での役割。
知恵を絞り動物を助ける役目。
ですから、人間中心よりも地球を愛し、すなわちそれは、
自然の動物を中心としたほうがいいですね。 人とは不思議。
失敗作にも成功作にも、自分で選んでなれる。自分次第であること。
ただ、人の言う成功作とは、動物を愛する心ではなく頭がいい人であったりする。
大いなるものは、心を見ているのだろう、と思うのだが。
クマについてはな、針葉樹を植林し餌を減らしてきた土民が悪い、花粉症で都会にも迷惑かけて土地売り渡しで国にも迷惑かけてるんだからペロリとされてもそれは報いだ、納得して食われろ。 荒い心になってはなりません。怒りを鎮めて。
餌を減らした土民と同じささくれた心になってしまいます。
怒りは閉ざし、憎しみは閉ざし
清らかな原動力により、動物を守っていきましょう。
動物を愛する、という原動力によって。 動物にこそ裁判の機会を与えてあげないと、凶悪犯は面倒くさいし可愛くないからさっさと処分でいいけどさ。 動物は純粋で魂のまま判断することでしょう。
人間の行う裁判では利権がらみもあったり、純粋な裁判とは考えられません。
権力者の行うものは、そういう場合が多いですね。
純粋な魂はいろいろわかるでしょうけど、しかし、残念ながら動物には
人間がその時々に作った法律のことはわかりません。
動物は罪がないでしょう。純粋さはあれど小賢しいさ、動物はそんなことは知らないからでしょう。
鳩がフンをまき散らしても、悪を知らないから、彼らは悪ではない。
悪を知らない動物には悪のことはわからない。つまり裁判は出来ないと思いますね。
国連分担金とODAやめようぜ!。
途上国の人間や害国人より身近な動物や植物を救おう!。 人間も動物と同じ生きとし生けるものです。命の尊さでいうと
命に上下など考えられません。
それを考えると非常時に女・子供だけを先に逃すなども、それが
美徳とも思えません。
男性も非常には率先して逃げたい人もいるでしょうし、
女性でも率先して非常現場に残って何か活動などをしたいと思う人も
いるでしょう。手先を使うことならば女性は得意です。
人間が飢えで苦しんでいたら、その苦しみは、助け合うという気持ちが
動物を愛する気持ちと通じていることになるでしょう。