対米英戦争開戦に関する日本政府声明と、岸田文雄の対米全面服従奴隷宣言の内容が真逆すぎる件(笑)

■岸田文雄 対米全面服従奴隷宣言 令和6年4月11日 米国連邦議会上下両院合同会議■

議長、副大統領、連邦議会議員の皆様、御来賓の方々、皆様、ありがとうございます。
日本の国会では、これほど素敵な拍手を受けることはまずありません。
そして、ギャラリーにいる妻の裕子を御紹介します。

私が裕子と結婚したという一事をもって、私の決断全てが正しいものであると、皆様に信用いただけるのではないでしょうか。
民主主義の本丸であるこの議場で、そして米国国民の代表である皆様の前で、こうしてお話しできることを大変光栄に存じます。
9年前、私の盟友であった故・安倍元総理が、正にこの壇上で、「希望の同盟へ」と題した演説を行いました。

私は当時、安倍内閣の外務大臣として両国間のきずなを目の当たりにし、深く感銘を受けました。
幼少期からずっと、私は米国とのつながりを感じてきました。おそらく、
小学校の最初の3年間をニューヨークのクイーンズにある公立小学校であるPS20とPS13で過ごしたからでしょう。
日本人は私一人でしたが、同級生達は私を親切に受け入れてくれ、お陰で新しい文化に溶け込むことができました。

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しかし、今の私たちは、平和には「理解」以上のものが必要だということを知っています。「覚悟」が必要なのです。
米国は、経済力、外交力、軍事力、技術力を通じて、戦後の国際秩序を形づくりました。
自由と民主主義を擁護し、日本を含む各国の安定と繁栄を促しました。そして必要なときには、
より良い世界へのコミットメントを果たすために、尊い犠牲も払ってきました。

およそ人類は、権威主義的な国家に抑圧されるような、つまり、追跡され、監視され、自己の内心の表現を否定されるような生き方はしたくない。


米国の政策はそのような前提に基づいていました。
米国は、自由こそが人類にとっての酸素のようなものだと信じていました。

この世界は、米国が引き続き、国際問題においてそのような中心的な役割を果たし続けることを必要としています。
しかし、私は今日、一部の米国国民の心の内で、世界における自国のあるべき役割について、自己疑念を持たれていることを感じています。

この自己疑念は、世界が歴史の転換点を迎えるのと時を同じくして生じているようです。
ポスト冷戦期は既に過ぎ去り、私たちは今、人類史の次の時代を決定づける分かれ目にいます。

米国が何世代にもわたり築いてきた国際秩序は今、新たな挑戦に直面しています。
そしてそれは、私たちとは全く異なる価値観や原則を持つ主体からの挑戦です。
自由と民主主義は現在、世界中で脅威にさらされています。

もちろん、米国のリーダーシップは必要不可欠です。
もしも米国の支援がなかったら、モスクワからの猛襲を受けたウクライナの希望は、どれほど前についえ去ってしまっていたことでしょう。
もしも米国の存在がなかったら、インド太平洋地域はどれほど前に、より厳しい現実にさいなまれていたことでしょう。
皆様、米国の最も親しい友人、トモダチとして、日本国民は、自由の存続を確かなものにするために米国と共にあります。

それは、日米両国の国民にとどまらず、全ての人々のためにであります。
私は、これを米国への強い愛着から述べているのではありません。私は理想主義者であると同時に、現実主義者です。
自由、民主主義、法の支配を守る。これは、日本の国益です。

日本国民は、これらの価値に完全にコミットしています。人権が抑圧された社会、政治的な自己決定権が否定された社会、
デジタル技術で毎日が監視下にある社会を、私は我々の子供たちに残したくありません。
皆様も同じく感じておられますよね。これらの価値を守ることは、日米両国、そして世界中の未来世代のための大義であり、利益でもあるのです。

今この瞬間も、任務を遂行する自衛隊と米軍の隊員たちは、侵略を抑止し、平和を確かなものとするため、足並みをそろえて努力してくれています。