>>339
日体大は綿井先生が退任したあとも選手権準優勝とかあるし、退任して10年近くたつ95年くらいまでは対抗戦中位維持してて、当時は帝京筑波あたりと同格で卒業生も何人かジャパン入りしてたし、時系列とか因果関係がおかしい

最初に部員数多すぎ(200人超え)で、高校ジャパンかき集めてた(入試が易しいから入りやすいので)割には結果が出ない→弱いと思われる、という順番があって、少子化で卒業生がなかなか体育教員の勤め先を確保出来なくなり、関東学院にリクルートのコネ根こそぎ持ってかれるようになった…というのが理由

帝京は岩出さんが監督に就任した96年時点ですでに素材は早稲田並みに良かったけど、なかなか上に行けなかった
明治が弱体化した00年代半ばから選手権常連になり、大麻事件で関東学院が地位を失ってから今度は旧日体大ルートと関東学院ルートもらって留学生もとるようになり素材高騰→一気に頂点へという流れ

日体低迷の原因は2つ3つあるが、部員が多すぎてまとめられなくなった、ってのはけっこう大部分を占める大事な要素だった
層が厚くなるメリットもあるが、デメリットとしては目標を失った上級生が反乱起こしたり、ワガママ言うようになったりすることもある
天理の強化やモラル対策にも参考になる話かと