高校時代は無名だった“原石”たち

 パワーというよりは、ブレイクダウンの攻防に加わる「速さ」と、ボールに絡む「早さ」を追求し、それが準決勝で明治、決勝で早稲田にも奏功したように見える。

 その速さと早さを、トンガからの留学生たちは別として、高校時代は無名だった選手たちが成し遂げた価値は大きい。

 この日、4トライのCTB市川敬太は、花園ラグビー場のお膝元、東大阪市立日新高校の出身。率直に書けば、天理には関東、関西の有力校のリクルーティングのレーダーにかからなかった選手たちが多いのもまた事実だ。

 しかし、小松監督は原石を育てた。