>>207
会場アウェイ、レフリングの相違といったハンディは明らかにあるが、それでも
大畑が主将の年は間違いなく大学No.1の戦力があった。
あの年は準決で淵上のいる関東学院に負けたわけだが、スクラムにとらわれすぎ、
大畑を十分に使わず、戦い方を間違えたとしか言いようがなかった。
試合の終盤で産大がスクラムを選択した時、少しでも時間を使いたかった淵上が
手をたたいて喜んでいた姿が、あの試合の全てを象徴していたと言って良い。
あの年を逃して以降、大学日本一を取れそうな年はなかった。
大西さんにとっては、今でも後悔の残る年だろう。