『きのう何食べた?』はなぜ視聴者の心を掴んだのか
 “家族”の物語として再構築したドラマ版の凄み

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『きのう何食べた?』(テレビ東京系)が遂に最終回である。
毎週毎週、常に互いを思いやるシロさんとケンジの日常を見つめることができる時間がどんなに幸せだったことか。
個人的に「色気とキュートの固まり」だと常々思ってきた内野聖陽と西島秀俊がその魅力を余すところなく発揮し、
また、山本耕史演じる小日向と磯村勇斗演じるジルベールの「何色にでも染まれる」演技巧者としての実力と、
その面倒くさい可愛さに震えたのは、嬉しい誤算だった。

 このドラマの魅力は数多くあった。
主要人物だけではなくシロさんやケンジの日常を取り巻く登場人物一人一人、
中村屋のレジの店員や司法修習生に至るまで、全く違和感のないどハマりな俳優陣。言うまでもなくよしながふみの原作コミック。
『透明なゆりかご』(NHK総合)も素晴らしかった安達奈緒子の脚本。
優れた演出と意外性のある音楽の組み合わせ等全てであり、それらが相まってテレビ東京飯テロドラマの極み、
「ホームドラマ」とも形容される、だんだん家族になっていく2人の日常が描かれたのである。
単に原作に忠実なだけではなく、各エピソードの順番を並び替えることによってよりわかりやすく彼らの心情を見せ、
家族の物語として再構築していたのはドラマならではと言える。

 例えば、原作4話のヨシくん・テツさんとシロさん・ケンジの会食と、シロさんが怒る場面に加え、
原作3話と「別れないための努力」の話が組み合わさった第8話。
ケンジと違って素っ気ない言葉の裏に優しい本音を隠す、素直じゃないシロさんの努力発言の裏側にある愛情。
そしてケンジを怒鳴った後の葛藤。シロさんの秘められていた心のうちがはっきりと描かれた。

 ドラマは、家族でいることの難しさと、それでも家族になっていくことの素晴らしさを描いた。
それは、彼らが同性愛者であるから抱えてきた悩みや問題だけではない。
もちろんそれも重要なことであり、このドラマはやんわりと、
偏見の目に晒されてきた彼らの事情も、乗り越えてきたのだろう過去も描いている。

 だが何よりこのドラマが多くの視聴者の心を掴んで離さなかったのは、
血の繋がりや、結婚という社会的な繋がりがあろうとなかろうと、
それまでの関係性があっけなく失われてしまうことが多いこの世界において、
大切な人と変わらず季節の変化を共有できる幸せだったのではないだろうか。

 初回の冒頭で弁護士であるシロさんが向き合っているのは、実の息子に会いたくても会う事が許されない母親だった。
彼女は精神的な問題を抱えているだけで、決して悪人ではない。
それでも彼女は、元夫とその妻と、彼女の息子がお弁当を広げ、新しい母と子が互いの口元についた食べかすをとりあい、
夫婦が思わず目配せする、自分がいなくても成立してしまった家族の「幸せの光景」を目の当たりにすることになる。
でもどうすることもできないから、泣きながらシロさんの作ったお弁当を食べ、
困ったシロさんは彼女と一緒にただ食べることしかできない。

 テツさんが「僕が歯を食いしばって貯めた金を田舎の両親にビタ一文渡したくない」と言った時、その背景が語られることはなかった。
生活保護の扶養照会だけが定期的に届く父親とケンジの関係は、
ケンジが「どんなに関係が深い人でも、許せない人と続けていくのはしんどい」と言ったように今後結びつくことは恐らくないのだろう。

 12話の中で季節が一巡してクリスマスと正月が2度繰り返されるドラマは珍しい。
4話において「うちに来る?」と問いかけた、出会った頃のシロさんがいた美容室の壁は真っ白で、
次のショットでその壁はクリスマス模様に変わり、3年が過ぎた現在に。

 同じメニューのクリスマス、前年に買った卓上クリスマスツリー。
2人のクリスマスが、次の年は4人になり、片や実家、片や1人の正月が、2人でシロさんの実家に向かう正月になる。

 いつか壊れるかもしれない関係性を大切に、大切に繋げていこうとする彼らが、
ただ共に日々を過ごし、食を通して季節を感じ、人と出会い、
敬遠していた両親のことを理解し、ちょっとずつ家族になっていく奇跡。
それを目の当たりにすることができるから、こんなにもこのドラマは愛おしい。

 まだ、もうちょっとだけでいいから、彼らを見続けていたいと思わずにいられない。