慶應にとって早慶戦と慶明戦は他とは別の存在。
それは明治にとって早明戦と慶明戦が特別な試合なのと同じこと。

下馬評が覆されてきた戦いは、それこそいくらでもあるのに、
「慶應ごとき」とかいう意味が分からん。

相手への敬意も、歴史への敬意もないのかな?