明治大学ラグビー部苦闘の歴史。
>>733 に続いて1999年以前の短評。私が明治の現役学生だったのは85-88年度。
入試を突破するのに精一杯で、入学した時はラグビーが強いなんて知らなかったです。

1985 南。  前年の不調(選手権不出場)を跳ね返そうとするも、得点力はそれほどでもなく、結構苦戦。
         慶応13-13。日体10-10と対抗戦2戦連続引き分け。早明戦8-6。選手権決勝慶応12-12。日本選手権は抽選で慶応。
         シーズン3引き分けというのは珍しいかも。
1986 高橋。 初めて国立で早明戦を観戦する13-12。当時GKの成功率は40パーセントで合格点の時代。
         なかなか入らなかったキックが懐かしい。
1987 大西。 雪の早明戦7-10。それ以外にあまり語るものはない。初めて筑波戦敗退15-21。
         大体大に0-10。                  
1988 安東。 チーム内内紛の新聞報道があった。慶応戦17-25で負けて目が覚め、最終的に選手権決勝で引き分け13-13。
         日体戦以後の勝ち上がりが実に爽快だった。私の在学中では一番好きな年度。
1989 竹之内。 新聞等の報道から、終始気楽かつ楽観的な姿勢を感じたが、問題は深刻だった。
           慶応戦17-18。早明戦15-28とガタガタ。交流戦抽選次進出13-13。大体大10-21。 
1990 吉田。ここ数年の緩みを一層。盤石の勝ち方ではなかったが、シーズンが佳境に入るにつれ盛り上がる。
        勝って結果を出し続けることのできた幸運な年度。選手権で京産にスクラムトライを献上したが逆転。
        決勝で対抗戦引き分け24-24の早稲田に競り勝つ16-13。
        前年に欠けていた、前への圧力があった。
1991 小村。対抗戦で開幕から5試合連続0封。前年の吉田イズムを引き継ぎが成功。
        失点の少ない。私が見始めてからは最も安定していた年だった。
1992 永友。この年よりトライ5点。途中まで凄まじい破壊力を発揮。
        選手権よりどこか緩み始め、中央32-3とだらしなく、準決勝法政に圧倒された18-42。
1993 元木。主将が前年の法政へのリベンジを強く提唱。早明戦よりも大きく扱っていたのが印象的だった。
        選手権で大東28-16、同志社27-17と苦戦しつつ勝ち上がり、見事優勝法政41-12。
1994 南條。例年よりも失点が目立つ。対抗戦では完封がなくなり、東大77-23。青学88-33。
        選手権中央22-19。主将の新聞での談話「ラグビーをなめていた」が印象的。
        一年通したこのモヤモヤは、選手権決勝対大東戦の結果に帰結した17-22。 
1995 信野。主将が自身の方針を打ち出すも。この年はスタメンに5年生が3人。やりにくかったかも知れない。
        方針固まらぬまま、筑波26-28、早稲田に負け15-20。選手権でのリベンジは見事43-9。
1996 松本。北島監督逝去。黒襟。強力との印象はあるが、慶応戦54-32。同志社戦55-38と
        一瞬気の抜けたような時があった。早明戦は2戦とも認定トライで決着。現時点で最後の選手権制覇。
1997 田中。部で資金関連の不祥事発覚。一年中ゴタゴタ。試合展開にもそれが出ていた。
        帝京戦、慶応戦で苦戦。最後開き直ってサントリー相手に後半途中までリード(36-58)。
1998 山岡。帝京大対抗戦不祥事にのため不参加。フィットネス低下元年はこの年だと思う。
        対抗戦は楽に勝った印象あるが、得点力が落ち始め、欲を出して取りに行こうという雰囲気ではなかった。
        選手権決勝は、後半ついていけず28-47。これ以降2017年度まで決勝に辿り着けず。


書いていて思ったのですが、明治ラグビーの強さは、つい最近まではいわゆるコーチングの成果とは別の所にあると感じます。
どちらかといえば、素材が自然に切磋琢磨して結果を出すという、今思うとちょっと奇跡的な感じさえします。
しかしこれが北島イズムということには納得します。北島監督後の時代の迷走もわかる気がする。
今年まで本当に長い試行錯誤でした。これからに期待します。
だから、ある時期までの明治の強さは、現在の帝京の強さとは比較はしにくいですね。