近年、学歴に比例して所得も高くなるといった単純明快なロジックは崩壊しつつある。
高学歴→貧者、低学歴→富者といった学歴ミスマッチが生まれる土壌とは何か。学歴に翻弄される人々の実情を追う!

 高学歴でも高収入のエリートが特に多い早稲田大出身者。
同大学に入れば、比較的将来は安泰に思えるが「なかには私みたいな低所得の人間もいますよ」と自虐的に話すのは、介護士の◯◯さんだ。

「卒業後は大手生保に勤めていましたが、昔からの夢だった世界一周の旅に出るため、後先考えずに27歳で退社。
年収は700万円を超えていたのでもったいない気もしましたが、早稲田大を出ているので、何とかなると思ってました」

「居心地がよかったから」との理由で同国の日系企業に再就職。早稲田大ブランドのおかげもあり、1社目であっさり採用されたという。

「ただ、現地採用なので年収は約250万円。日本の本社採用の上司からは“早稲田大卒なのにもったいない”とよく言われました。
でも、タイでなら十分に生活できる水準だったし、組織に縛られるのが嫌だったので、当時は不満などなかったですね」

 ところが、この海外就職が彼の人生を大きく狂わせてしまう。’08年に起きたリーマン・ショックによる経営不振で突然解雇されてしまったのだ。

「最初はタイで転職先を探しましたが、求人自体が減っている状況で諦めて帰国しました。このときすでに32歳。
海外放浪による2年間の職歴空白期間、その後の現地採用も契約社員待遇だったため、どの会社も評価してくれず、早稲田大ブランドも地に堕ちました。
面接官には“早稲田大卒なのに、何してたの?”と嫌みを言われ、腫れ物扱い。もう少し低い大学なら、僕の経歴も面白がられたのかも。
ショーンKのように学歴詐称もしていないのに、早稲田大卒がネックになるなんて思いませんでした」

 結局、正社員での採用を断念。保険会社代理店の契約社員や市役所の臨時職員を転々とした後、4年前に介護士として働き始めた。

「年収は300万円と安く、昇給も期待できません。こうなるなら、最初の大手生保を辞めるべきじゃなかったんでしょうね」

彼は今は秩父宮ラグビー場に通い母校の活躍で心を慰めている。しかし、肝心の母校の活躍もままならず、ついつい大声で叫びだす始末。

山下のハゲ、辞めろ
東海のバカ、早く蹴れ
五流大学のくせに帝京の奴らは...