当時、早稲田と同志社がダイレクトフッキングを多用していたが、
キープとの使い分けでオフサイドを誘うのは早稲田が一番上手かったと思う。

早稲田の宿沢広朗、明治の松尾雄二(1年生時)、慶應の上田昭夫等の時代は、
まだSHがストレートパスしか出来なかったから、
押して相手を消耗させられるスクラムの強いチーム以外は、
余りキープする必要性が無かったし、バックスラインもダイレクトの方が、
相手ディフェンスが遅れる分やり易かった訳だ。

ところが、SHのスクリューパスが一般化してからは、
パスの距離が伸びたことでダイレクトで出すメリットが薄れ、
SHで潰され易く、スクリューパスが使えないダイレクトは激減した。

バックスのパス回しの速さも、今よりもディフェンスラインとの距離が近かったから、
当たり前のことだった。