【ミスター】平尾誠二 Part 4【ラグビー】 [無断転載禁止]©2ch.net
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確か大八木は工務店の息子だから建築科のある伏見工業に入ったと聞いたが、
幾ら山口良治さんが指導していたとは言え、普通の家庭に育った中学生が、
周囲の反対に逆らって当時の伏見工業に進学するのは凄く難しい決断だったと思う。
何故なら、当時の伏見工業ラグビー部から大学に進学できたのは、
高校ジャパンに選ばれたプロップが山口さんの母校の日体大に行ったぐらいのもので、
確実に高校ジャパンに選ばれる自信が無ければ高卒で終わる覚悟が必要だったからだ。
慶應、筑波は言うまでもなく、早稲田、明治でさえ手を付けようとしなかった伏見工業に、
同志社が一番先に手を付けたことが未だに信じられない。 >>142
簡単に言えば、京都唯一の落ち零れ受け入れ公立高校。 自分の知り合い、ラグビー未経験者にもかかわらず当時強豪だった西陵商に行こうとして進路指導の先生などにこんこんと説かれ諦めたやついたなあ
その後も普通の高校でラグビーやっていたけど 平尾の後、平尾のようなラグビーのスターは出ていない。 >>148
リアルタイムで見てたけど、平尾と同時代なら本城の方がアイドル人気としては上だったし、現代ならリーチマイケルや五郎丸も平尾並みの知名度はある >>149
平尾が早稲田でやっていたら本城なんて霞んでしまっていたと思うよ。 >>149
大学時代の人気なら本城の方が上なのは確か。当時の対抗戦の盛り上がりは凄まじかった。
関西は完全に脇役、ヒールみたいな感じ。
むしろ平尾は玄人受けするキャラだったな。
本城が大学にいた頃はね。 平尾、本条が人気者代表なら、
ヒール代表は大八木、赤塚、五郎丸、豊田で決まりだな。 ヒール代表は河瀬、大八木、赤塚。
河瀬はもちろん親父の方。 河瀬父って別にラフプレーとかせず、むしろ憎たらしいくらい冷静でクレバーだった印象しかないが、あれヒールか?林みたいな存在だったと思うが
本城の頃の早稲田ってスクラム組むと死人が出そうなくらいFW人材難で、それを押しまくる明治全体がヒールってのなら分かるが
赤塚はアホで完全なヒールだったよな
清宮も言動で反発買っててアンチが多かった
早明戦で明治のことを「アイツら」って言ったらNHKに抗議の電話が殺到したっていう >>155
花園で退場をくらってるぞ。久我山の相沢と
やりあってる。 >>156
河瀬の話ね。高校1年の時、全国大会準決勝。 大工大/明治の河瀬にヒールの印象は全くない。
河瀬で一番印象に残っているのは、
兄貴が京大のアメフト日本一の立役者で有名だったことかな。 >>150
あきらかに
歳を重ねても
平尾さんの方が見た目かなり上 平尾さんはね〜。日本代表での活動が良くなかったよね。
選手としても監督としても。145点のときとか、元オールブラックスを入れて戦った監督時代。
根底あるのが、平尾さんの「サイズ信仰」じゃないかな…。ようは、デカくないと勝てないってやつ。
だから選手時代も、国内ではあれほど一生懸命だったのに、W杯南ア大会とか「どーやっても勝てませんわ」的で片手間だったし。
監督時代も、サイズで選んでるだろ?ってのが随所にあったしな〜(なぜ、堀越使わんで、大原とか
訳の分からんハーフを使ってたんだ? 大原が170pあったからという信じられん理由…)
平尾を縛ったサイズ信仰、というのが、草ラグビー愛好家のワシの結論。 >>160
格闘技の要素の大きいラグビーというスポーツでは、
スキル、スタミナによほど大きな差がない限り、
スピード、パワー(瞬発力)、サイズと言う努力で解決できない要素で試合が決まる。
自分自身の資質に恵まれての成功体験から、ラグビーのレベルが上がれば上がる程、
最終的に勝敗を分けるのは選手の資質であることを平尾は理解していたのだろう。 >>161
堀越と大原の件は関係ないと思うけど、平尾がサイズ、フィジカルを重視していたのは事実。
結局はそこの差でやられているように感じていたのだろう。ラグビーの本質的な部分。 >>149 平尾は現代だと誰と比べて現代の誰のほうがいい
とかそんな割り切れる簡単な話じゃないんだな
その当時、その時代が平尾だった。それはその当時絶対だった。
というカリスマ性でもあるんだよ。
簡単に言えば山口百恵は絶対アイドルだとおっさんが言っても
若者がいやAKBのだれのほうが可愛いとか言われても
比べる対象でもなく当時は社会が山口百恵で染まってたんだよ
でインパクトが違うんだよ
現代の物差しで測るほうが間違い 俺は平尾・朽木の両センターが好きだったなあ。
その後の元木、吉田明、マコーミックよりずっと好きだった。
ラグビーファンはそういう奴が多いと思う。 >>159
てもファンレターの数とかバレンタインで届くチョコとか女性メディアの取り上げかたとか現実の集客力は圧倒的に本城>>>平尾だった
裸の写真を同封してきてお嫁さんにしてくださいというファンレターも何通かあったという伝説も
やっかみ半分のアンチも多かったがw
タックルがややソフトなだけで、組織DFはちゃんとやってた本城だが、当時はラグビーマスコミが未発達でそのことは理解されず、DFしないからダメと偏見を持たれてたね
平尾は強者側にいたから、判官贔屓の大衆なんかには魅力がなかっただろうね >>164
そうだね。
元木、マコーミックとか、大駒2人(といっても世界的に大きいわけじゃないけど)を並べてもね。
あの2人って策がないんだよ。国内では地の強さで勝っていただけなんだよな。 >>161
そこは一般論としては合ってるが、実際に平尾が選んだ選手が、図体がでかいだけで動けないでくの坊が多かったのが問題なんだよ
例えば185で動けてコンタクト強い選手を干して、メンバー表だけ見て190の動けない選手なら185の方を我慢して使うしかない
平尾はそのことが分かってなかった
大西鐵之祐なんかも、実は大形化には平尾以上に熱心で、ジャパン監督時代に国鉄に乗り込んでって、他の競技やってて体のでかい脚の速い人がいたら教えてなんてこともやってる
あと、大西でも宿沢でも、試合で実際にパフォーマンスやメンタルも見てから選んでた
メンバー表のサイズだけ見て選んでたふしがある平尾とはそこが違う >>165
あの時の同志社って、大学選手権では早慶の敵役で、日本選手権では釜石の敵役だよね。
人気チームの敵役なんだよね。その中心が平尾だったからね。
黄色い声援というのはあまりなかったんじゃないかな。 平尾擁護論の厄介なのは、一般論としては正しい部分も内包してること
詳細に吟味したらやはり平尾メソッドは間違い、まずい
そんなのが多い
素人騙すのか上手かった平尾の生涯を暗示してる
ニュースキンでも素人を騙してたしw >>167
あれ、平尾さんは何故、あそこまでサイズデータにこだわってしまったんだろうね。
そうなんだよね、デカくてもDFラインにとって怖くなかったら意味ないんだよね。
本番数カ月前の夏の強化試合に、法政の1列呼んだんだよね。
チーム内では、ドンキーコングって言われてて、たしかにスゲー体してるんだけど
ボールを持っても大して役に立たない。あんなのまで呼ぶのはサイズ気にしすぎ。
平尾さんは、数字をみて満足してしまうのか? >>169
ラグビーに必ずしも詳しくないビジネス誌の編集者は騙されてたよ(笑)
しょっちゅう、組織論とかリーダー論のインタビュー記事が載ってたじゃん。
でも、神戸GM時代と、代表監督時代の実績って。。 >>168
釜石の何が凄いって、あんだけ連覇してもアンチがほとんどいなかったからな
松尾個人はけっこうアンチがいたはずだが釜石アンチは記憶にない
普通は神鋼の後期みたいに負けろ負けろと願う層が出てきて学生の応援に回るもんだが >>170
ワールドカップ後に、これからは190センチのハーフが必要と言い出した時は、薬でもやってるのかと思いましたわw >>171
ラグビー記者たちは「会社ゴッコ」「高校生でも1日徹夜したら書けるレベルの作文」と平尾をバカにしてたよね >>172
釜石は高卒叩き上げ中心だったから、アンチは生まれない。
神戸製鋼は高校ジャパンで活躍したラグビーエリート中心だったから、アンチが生まれる。 >>175
神鋼はV3で現役ワラビーズのウィリアムズ取った時から、関東のファンには相当反感買ってたね
三洋にラトゥが入るのはいいらしいが、ウィリアムズは反則だろとか何とか
堀越もなぜサントリーでなく神鋼なんだとさんざん言われたな >>174
ラグビー記者もろくなのいないじゃん。
平尾の評価はどうでもいいけど、狂会本あたりのネタだったら寒すぎる。当時だったら大友と永田は終わってるな。ラグビー知らないもん。 >>165
本城のDF擁護は無理があるな。あれは早稲田だから本城がタックルしなくて済んだだけでしょう。チームとしての方針でね。だから当時の早稲田のフランカーはみんなタックル狂みたいな選手を使っていた。ジャパンではそうはいかないから本城が入るとチームDFが崩壊して、
止むなくWTBにまわされたりもしたし。本城のプレースキックは優秀だからね。 >>165
本城のその辺の評価はラグビーマスコミは関係ないと思うけどなあ。未発達だから早稲田での本城は誰も指摘できなかったし、しなかった。
早稲田を離れてジャパンやサントリーに入ると
途端にボロが出てしまう。サントリーでもまだまだ動ける年齢だったのに森山にポジションを奪われてしまったしね。サントリーもそこから強くなっていたから正解だったのでしょう。 本城はDF力なかったが、平尾もDF力があったとは言えない。
というより平尾はセンターとしてはDF力不足だった。よく抜かれていた。
本城よりマシかもしれないが。 >>173
平尾の考えを推し進めると、そういう結論になるわけでしょ。
現実に、監督やったときには、ハーフ候補の中で一番大きくて強いってことでバショップ使ったしね。
だけど、速くも遅くもないバショップの球出しは、ディフェンスしやすいんだよ。
おまけに、エイトのジョセフのサイドアタックもスローモーで相手ラインを崩すまでには至らない。
デカいの並べたけど、ゆっくりキープできますってだけ。
だから、平尾ジャパンの試合は、ノボ〜っとしたものになるんだ。 >>178
無理しなくていいよ、本当は平尾がディスられたの我慢出来ずに出てきたってのがバレバレだから >>180
「早稲田だから叩かれなかった」→だからマスコミが未発達だった
そこが大間違いで、本城がDFしないと叩かれまくったのは、人気絶頂だったまさに早稲田の3年4年の時期だぞ
プレーが派手だからミーハー人気が先走ってるが、DFしない本城を好きになるのは素人やミーハーだけで、玄人は本城のDFしない欠点を叩く、それが通みたいな風潮ね
明治ファンの山城新伍なんかも言ってたw
ところがどっこい、現代なら「タックルがやや弱い」のと「DFをするしない」は別問題である、という当時より高いレベルで論じられる
本城は決してDFしないSOではなかったんだよ
バッキングアップにもちゃんと走って相手ウイングをライン際で捕まえたりもしてたし、キック処理も上手かったからね
平尾がのちにジャパン監督時代に入れたバックスリーなんかは、タックルするしないってレベルじゃなくて、そもそも「DF自体が出来なかった」選手が多かった >>184
DF自体ができないバックスリーて具体的に誰のこと?
平尾監督時代というと、松田、増保あたり? 平尾の監督だったときのスローガン
リズム&テンポ
同じことの繰り返しじゃん
これでこいつ頭悪いんだとわかった >>184
それって全く擁護になってない気がする。
サントリーではFWから信頼されなくなって、
天理出身、森山の台頭を許したのにね。 >>185
二人とも平尾監督の頃には出来るようになってたよ
大畑をフルバックで使ったり、平尾剛史あたりがそうだね >>188
擁護じゃなくて反論な
お前のレスはどっちにもなってない
サントリーでレギュラー降りたのは本城自身の劣化と森山の成長が原因であって、信頼うんぬんじゃない
むしろ、レギュラー時代は主軸選手として周囲に厳しくて反感買ってたくらいだから、信用論は的外れ
それと森山自身は「僕はどこを取っても本城さんには叶わない、本城さんは上手いです」と 言いながら試合に出てたの知ってるか?
ソースは『ワインレッドの彷徨』というサントリーラグビーの歴史をルポした本
俺はお前よりそういうことは詳しいから諦めなさい まあ、宿沢監督より後の代表チームでの平尾の振る舞いは、批判されて仕方ないでしょう。
なんで、宿沢交代後はちゃんとやろうとしなかったんだろうね?
チームから離れたり、戻ったとしてもいい加減だったり。
で、自身が監督になったら、ごっこ、だったからね。それと身長体重選考。
現役時代の栄光がなかったら、もっとボロクソに言われてたんじゃないか。 >>191
小薮と林平尾大八木は仲が悪かったという話を聞いたことがある
宿沢ジャパンの中核だった同志社OBみんな代表から引退したでしょ?
平尾が戻ったら松尾勝博も戻った >>186
リズムとテンポというのは、同じ意味じゃないのか。どう違うのか。 >>190
あの〜、その本なら連載してた時から読んでたし本城と森山の関係なんかも知ってるけど
森山のコメント取り上げてどうするの?
本心かもわかんないし社交辞令の場合もある。
少し幼稚すぎるだろう。本城のDFが弱くて
森山のSO起用に舵切った事は事実だし、成長とか劣化はあって当然だろう。くどくなるけど森山のコメントなんか出してくるのは草すぎ。 >>195
あれ????
元のお前さんの話では「本城はFWに信頼されてなくて降ろされた」て設定じゃなかったっけ?いつの間にディフェンスが原因に変わったの?www
真相は、主将になった土田が(なぜかライバルチームの主将なのに)平尾に相談したところ、平尾が森山を推したからだろ
本当なら、そっちの方こそ本心だったのか疑うべきなんだけどな、なんたってその年決勝で当たることになった相手チームの側の薦めなんだから
本音では森山使ってくれた方がウチ(神鋼)は助かるとほくそ笑んでたかもなw >>150
当時の早稲田はまだ矜持があったんだろう
本城は久我山に対し平尾は関西の工業高校 >>170
平尾は日本代表soを青学出身の選手にして
「人を見る目大丈夫?この人」と思ったが、やはり惨敗続きだったな >>196
お前はわざとななめ読みしている感じだな。
レスでは個別になってるけど、DFが弱いからFWから信頼されなくなったという趣旨なんだけど、FWが何の理由もなく信頼しないとか、
話しが通じないでしょ。それと森山のSO起用に関して平尾が勧めたというソースはあるの?
永友の主将に関してなら平尾が勧めたというのは土田が語っているな。 >>196
だんだんとお前の妄想の割合が大きくなってきている気がする。わざわざ平尾批判の為に本城なんか使わなくてもいいと思うぞ。ブーメランになって返ってくるのは必至だ。 >>196
それからワインレッドの咆哮は確かアクションで連載されてたよな。これは間違ってたら申し訳ないけど。まだサントリーが初優勝する前から連載されてたし、当時はずっと読んでたよ。
題名は書籍化する際に少し変更されたと思う。
漫画の隙間に1Pだけ硬派なルポがある感じだったけど懐かしいな。 大西鐵之祐が昔、本城のタックルが弱いという評価について記者に「脚が速いから相手に先に
ステップを切らせて、コースを限定して追い込む方法をとっているんだ」とかばった。確かにそれもありなんだが、ラグビー経験者ならそれはWTBのDFじゃんとなる。当時は身内には甘いなあと思ったな。 >>201
御免なさい。ワインレッドの彷徨の間違い。 >>202
そういえば本城はジャパンでウィングでも起用されていたと思う。 >>199
同じ「ワインレッドの彷徨」に出てくる話やぞ
土田が平尾に相談したら「森山の方がええんちゃう?」と薦めた
連載当時から読んでたってウソか? >>202
本城は相手アタックの時、セットプレーからハーフ、スタンド、センター、ウイングと回った時に味方ウイングの外側に立って相手ウイングをタッチラインに追い出すようなカバーディフェンスしてた
これはスタンドの基本のカバーでもあり、また、最後はウイングっぽい動きで追い出すわけだからウイングっぽいやり方と言えなくはない >>205
30年前くらいだぞ、全て覚えてられるか。
本になってからも読んでないし。シーズンオフの練習でソフトボールやった時の話とかは何故だか覚えてる。 >>206
大西鐵之祐はタックル或いはDFが弱いという指摘に対して答えたのであって、DFのコースを説明した訳ではない。まあ、いいけどね。 >>208
前も言ったように、本城当時はラグビー専門の記者なんかほとんどいなかった(サッカーも少なかったけど)
だから「ディフェンスはするがタックルが弱い」と「ディフェンスそのものが出来ない」選手が混合されがちで、本城はディフェンスをしないと叩かれまくってたわけ
それに対する回答ならば、いや、ディフェンスはしてますよ、って答えたということだろ 永田の『スタンドオフ伝説』て本が面白い
最初の章で松尾本城平尾をそれぞれ一話ずつ丸々書いて、あとはジャパンのW杯での歴代スタンドと戦術の話
宿沢は最初スコットランド戦で本城平尾朽木の黄金フロントスリーを組みたかったが、コーチ(たぶんBKコーチだった早稲田の後輩の植山)にスタンドは若い青木(大東→リコー)にしましょうよ、と進言されて青木を使ったと
本城と平尾の夢の共演!て話を振る永田に対して、本人同士は苦笑したらしい
お互い我が強いから司令塔が二人みたいになって上手く行かなかったんじゃないか?と >>210
本城・平尾・朽木か。見たかったね〜。
あと、あの時代は、朽木から吉田へのドンピシャのパスが良かったな〜。
トップスピードに入った吉田が「ここにくれ!」って所に、朽木がパスを出すんだよね。
平尾が輝いていた時代だわな。それに比べて、後期?平尾は残念だな。理屈はいいんだよっていいたくなる。 >>211
吉田は糸の切れたタコみたいなもんで、ピーキーで扱いずらいウイングだった
平尾と朽木はそのことも宿沢や植山に言ったんだけど、あの国際級の決定力は捨てがたいってことで、平尾や朽木の側が吉田の動きに合わせる形を取らせたという
朽木のピンポイントパスが吉田を活かしたし、吉田も成長して平尾朽木の動きに合わせることが出きるようになってった
ただ、このときに平尾が感じてた吉田の扱いにくさ、パスの放りにくさへの不信感みたいなのが、後年の吉田の冷遇につながった
平尾が好むのは総合力が高くてつなぎやDFも上手い増保やツイドラキみたいなタイプで、吉田みたいなトライ特化型のスペシャリストじゃなかったんだよね
吉田の側も反論してて、ボクがDFが出来ないというのは偏見!だとか、本質が見えない人たちばかりで困るなんて愚痴もこぼしてた ちなみに平尾としのぎを削ってた松永敏宏(慶応のやつね)は、社会人時代に「平尾も朽木も怖くない。トイメンにして一番怖いのは吉永さん(マツダ)と吉野さん(サントリー)」と言ってるw
実際、吉永は社会人大会でチームは神鋼に大敗しても平尾を止めたり平尾を抜いたりしてて個人的な対決では勝ってた >>213
日体大で朽木と同級か一年上だった吉永ね。
彼はいいセンターだった。
当時のベストフロントスリーは、平尾・朽木・吉永だったのでは。 平尾監督時代はジャパンの停滞期でしたね。
というか、今からしてみると、小藪(山本)平尾時代は暗黒期だったのかも。ごっこの時代というか。
最後はさすがに協会も解任したが。 当時、選手は宿沢時代よりもずっと上だった
なぜマーティン・ブルックをジャパンに入れなかったのか?ってNZで不思議がられてたよな
平尾時代の広瀬元木マコーミックも良かった 10本城12平尾が、たぶん上手く行かなかっただろうな、というのは、本城は(自らも脚が速くてトライゲッターだったし)ギャップ見つけるとまず自分でランして抜くことを考えるスタンドで、平尾はスタンドオフにはパスマシーンに徹してもらって全部俺によこせ、頭は俺が使うから、というタイプだったからだと
つまり二人とも我が強いから、共存は無理だったろうなと自分たちで言ってる
平尾自身は後輩の松尾勝博が一番やりやすいスタンドだったそうだ
さっさとパスくれるからと >>217
松尾勝博はディフェンスの良いスタンドだった。
ファンタジスタではないから、一般には地味に見えるのかも。 >>218
平尾はそういう、個性がないスタンドのほうがやりやすかったと言うことだね 宿沢がよく選考してたってことでしょう。宿沢のときの平尾は良かった。
小藪のときの腰かけ的参戦はもちろん問題だが、アイルランド戦で堀越と組んで、バンバン仕掛けたのは良かった。
問題はその後。 高校のときに地元で行われた北信越大会を見に行った。
福井代表と新潟代表の試合だったが、福井のSOの動きが凄かった。
それが朽木だった。もちろん地区大会当時は無名だし大学に行って開花したんだろう
ところが相手の新潟のSOもすごくうまくてまたショック。
レベルの低い北陸信越でこれくらいすごいんだから、全国行ったらもっとすごいのがたくさん
いるんだろうなぁ、と思い、ラグビーは高校でやめた。
相手の新潟工業だったかな10番、あの後どうなったのかなぁ >>221
高校時代に江川から練習試合でホームラン打ったってだけで広島にドラフトで指名されて入団して、数年でクビになった鹿児島の選手を思い出す話だな
中道くんとかもし陸上じゃなくラグビー選んでたらどうなったかな?て妄想はたまにする
吉田とダブルフェラーリのウイングになってたかもとか >>167
これスゲーよくわかる。平尾をよく言い表している。デカくなったけど、象の大群みたいなチームになっちゃった。 また平尾の本が出たな
前書きで書いてるが、執筆者はラグビーをほとんど知らない素人
なので、生前平尾と親しかった人たちの取材話だけで成り立ってる
この辺も平尾の素人だましの傾向を表してて、ラグビー専門のライターなんかはあまり平尾のこと書かないし、書いてもネガティブな内容が多い >>189
平尾剛史は99年W杯ウェールズ戦にFBで出場したが、突進して来る相手選手に恐れをなしてかタックルに入るどころか、尻餅ついてトライアシストしてたからなぁ。
あの大会は初戦のサモア戦の序盤に正FBの松田がラリアット食らって退場してからは散々だったな。
つくづく所属先の理解が得られずミルンを連れて行けなかったのが響いた。 >>225
大友とか永田とか狂会の面々はみんな(パシフィックリムで快進撃してた時点ですでに松田の控えがいない不安を指摘して)増保FBでいいじゃんと言ってた
前年の予選でハイパンキャッチとキック処理が神がかってたからね
その時点ではもうマツダがミルンを代表に出さなくなってて、ミルンという選択肢はなかった
大友がそのシーンを「平尾は『オレのせいじゃない!』とばかりに、タックルに行こうとした手を引っ込めた」と描写してたなw >>226
あの試合、サモアの狙いは松田を早めに潰し、FBに入った大畑の背後にロングキックを放り込み大畑を背走させ、追い付いた大畑が攻勢に転じようとしたら、既にサモアの選手が目の前に迫ってて蹴り出すのが精一杯という流れにする事だったからね。
それにしても、何故増保をFBで使わなかったのか。 >>227 DF重視じゃ勝てないということで、大畑ーツイドラキー松田のBK3にしましたね。 >>228
大畑をフルバックにしたことで、大畑のアタック力がゼロになり、結果としてアタックもデイフェンスもダメにした悪手でしたね >>227
背走に次ぐ背走をさせられた大畑は完全に死に体になっちゃったもんね
失敗だった そもそもスクラムがまったく歯が立たなかった。FWでプレッシャーかけれないから
ウェールズ、サモア、アルゼンチンにも好き放題に展開された。
しかし長谷川(サントリー)−薫田(東芝)−中村(サントリー)の1列
ゴードンと田沼か桜庭だったかの2列、当時これ以上の選手はいなかった。
全敗の責任は監督にあるんだけど、当時他にやりようがあったか言われると思い浮かばない >>231
第3列にもスミス、ジョセフがいたし、これでFW戦は3試合とも劣勢でしたね。
特に最終戦のアルゼンチン戦はスクラムも適当にいなされ遊ばれてた感じがしました。
あの時の日本がいたプールはウェールズがサモアに、サモアがアルゼンチンに、アルゼンチンがウェールズに敗れ日本以外が2勝1敗で3すくみ。日本を適当にいなしたアルゼンチンがベストの3位で次戦でアイルランドを破りベスト8に進出。
どうせ全敗するんなら、松田が負傷退場した後は増保を、手堅いバショップー広瀬ではなく村田ー広瀬を起用して欲しかった。 >>232
村田も平尾に干された選手だった。
個人の自由な判断とか言っているくせに、村田のような計算できないプレーをする選手を起用しないという矛盾。 >>232
アルゼンチン戦も勝ちに行ってたからな〜。
リザーブをBK1人減らし、PRを2枚入れて対抗しようとしてたから
ちょっと村田を使う選択はなかったですね。 99年W杯前年の98年に来日した若手選手中心のアルゼンチンに勝ったり、W杯直前のパシフィックリムに優勝したりで期待値は高かった平尾ジャパン。
あとラグマガのW杯直前対談で日本でプレーする外国人選手がスピードで勝る日本はアルゼンチンには勝てる。とか煽るから応援する方もその気になっちゃったな。 >>235 そりゃあ期待上がりますよ。Pool Dが一番いい組合せだったし。
振り返ると ジャパンが今の実力で99年にPool Dに入りたかったですね。 >>231
やりようはあったでしょ
というか平尾始めコーチ陣が何も作戦立ててなくて無策だったんだから
広瀬がいろいろ戦術を考えて、サインを紙に書いてこの地域ではこう、そこで抜けたらこう、みたいなのを現地入りしたあとで各選手の部屋を回ってやってたという逸話がある(証言は村田を取材した大友)
いち選手がそんなことやってるんだから、チームの体をなしてなかったんだよ
リザーブは自分の役目が分からなくて腐ってた選手が大勢いた
一方で宿沢ジャパンの控えは、最後の試合後の前まで練習でアピールを続けて出番があると信じてたほどモラルが高かった
平尾は人心掌握の点でもだめな監督だった >>237
それで思い出したけど、平尾が考えたアタックラインがダイヤモンド・ラインだっけ。
BKがひし形になる奴w
99年W杯前は平尾ジャパン批判はご法度みたいな雰囲気があって御用マスコミになってたよね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています