「カッコイイとは、こういうことさ。」の惹句が似合うカッコイイ男、ポルコ・ロッソ。そんな彼を主人公に描いたスタジオジブリ作品が『紅の豚』です。
スタジオジブリ作品の中でも特に大人っぽい不思議な雰囲気です。今回はそんな『紅の豚』の独特の雰囲気はどこから来るのか。
映画に秘められた歴史的背景や、映画に込められたメッセージを紐解いていきます。本作はなぜ魅力的なのでしょうか。

ポルコが豚の顔になったその理由とは?

最後にこの映画を観た人の多くが気になるであろう「ポルコが豚の姿になった理由」について言及しておこうと思います。

上映当時から「なぜ豚になってしまったのか」「最後には人間に戻れたのか」といった問いかけは、宮崎駿に対して何度も向けられていたのですが、
はっきりとそこに理屈のある回答はなく、どちらかというそういった問いかけこそ野暮であるかのような態度で、煙に巻くような回答をしていました。
そこには、宮崎駿自身がポルコが豚になった理由を単純化したくない気持ちが隠れているようにも思います。

ただ、ポルコが豚になったことに対して、一切言及がなかったわけではありません。
公開当時の『紅の豚』のパンフレットに書かれている宮崎駿のインタビューでは、ポルコが豚であることに対していくつか言及がされています。

忠義的な犬でも、自由奔放な猫でもない、ポルコのキャラクターを表す動物として豚を選んでいること。
また、戦争に対して、どっちにも与しないということを“豚になる“と表現していること、などからポルコが豚であることは、作品のスタンスのようなものを表現していることが分かります。
そしてもう一つ重要なのは、すでにパンフレットの前書きの時点で、誰がどういった理由でポルコを豚にしたのかが明文化されているのです。

『迫り来る新たな戦争を前に再び国家の英雄になることを拒み、自分で自分に魔法をかけてブタになってしまいます。』

そう、ポルコは自分に対して魔法をかけて豚になってしまっているのです。