>>772
 この辺の「『海底2万マイル』の生き残りだ」というのは、宮崎駿自身が、裏設定と言いながら
堂々といろんなところで言ってる話ですから、これは確かだと思うんですけど。

 こんなふうに、フジモトだけは、グランマンマーレの役に立っている。
だからこそ、他の夫のように同化吸収されずに、今も生きているわけです。

 なので、フジモトにとってのグランマンマーレは、愛しい妻なんだけど、同時に、
自分が役に立たなくなったら、体内に同化してしまうような、恐ろしい存在でもあるんです。

 「マンマーレには、フジモトの他にも夫がたくさんいる」と言いながらも、
海の中で生命の水を作っているフジモト以外に全く気配を見せないのはなぜかと言うと、
おそらく、「他の夫もいたんだけど、もう死んでしまった」か、
あるいはチョウチンアンコウをわざわざ設定してるんだから、
「マンマーレに同化されてしまった」と考えるのが一番良いんじゃないかと思います。

 たぶん、フジモトも、年を取ってこういう作業が出来なくなってしまったら、
グランマンマーレの体内に引き込まれて、組織とかが癒着して、同化されてしまうんじゃないか、と。

 でも、その時に、フジモト自身がそれを「嫌だ!」とか「怖い!」と思うかは、
この世界観の中ではちょっと疑問だなと思うんです。案外、喜んじゃうんじゃないかな?

「女が内緒話をしている時というのは、必ず男にとって……」
 さっきの話の続きになりますけども。今までの話からわかる通り、
この花壇に隠れて見えないグランマンマーレの足元の部分には、
おそらく、本体のチョウチンアンコウに?がるデカい触手があるんですね。

(先程のパネルにマジックペンで描き込む)【画像】花壇と触手 ?2008 Studio Ghibli・NDHDMT
https://d2l930y2yx77uc.cloudfront.net/production/uploads/images/14127219/picture_pc_7a8fdbe2bc9e0e0f8aa840b49bfde588.png

 こういうふうに。おそらく、見えないところに、触手があるんですよ。

 リサは、その触手を踏まないようにするために、わざわざ花壇を避けて歩かなきゃいけなかったわけですね。

 宮崎駿は、この映画を気持ちよく見ている観客には、こういうことがわからないように描いているんです。
触手を隠すためにわざわざ花壇をレイアウトしているわけですから。

 この『ポニョ』という作品は、普通に見ている限り、
「実は、宗介という少年は、薄気味悪い相手と変な契約をしている」
という部分が僕らには見えないようになってるんです。