>>430
 1つ目のクライマックスは、「映画の中で核兵器を使用するという」シチュエーション。
この、核兵器を使用するかどうかという決断を、第1のすごく大きい山場として持ってくるということでした。
 絵面的な見せ場は他にもあるんですよ。「怪獣が登場する」とか。
でも、そうじゃなくて、ドラマ的な見せ場はまず核兵器の使用を決断するということだったんですね。

 で、2つ目が、「ウルトラマンと言いながらも、庵野秀明が素顔のままでビルを壊してバーンと出て来る」ということ。
 これも、絵面的なクライマックスであると同時に、ドラマ的なクライマックスの1つでもあったんですよ。
 というのは、ウルトラマンと言いながら、どう見ても人間の顔をしたヤツが出てきた時に、
見ているみんなは、一瞬だけ、もう、冷めるわけですよね。
「真面目に映画を作ってると思ってたけど、ここで笑かすつもりなのか?」ってなるんですよ。
 だけど、これはもう、絶対に、クライマックスでやると決めていたんです。

 そして、3番目のクライマックスは、「最後、怪獣と戦っているうちに、見ている人間から
『これは庵野秀明という人間の顔そのままだ』という気持ちを、徐々に徐々に忘れさせること」。
 いつの間にか、本物のウルトラマンを見ている気持ちにさせるということが、第3のドラマ的なライマックスだ、と。
 これを、自主映画の時に徹底的にやったんですね。

 この内、「核兵器を出す」というのは、もう『シン・ゴジラ』でやったから、
『シン・ウルトラマン』ではやらないと思うんですよ。

 でも、第2、第3のクライマックス、つまり「素顔のままで出る」というのと、
「素顔であることを忘れる」というのは、『シン・ウルトラマン』でもやるんじゃないかと思うんですよね。

・・・

 そう思うのは、庵野秀明という人は、すごく『ウルトラマン』が好きで、『宇宙戦艦ヤマト』が好きで、
『ガンダム』が好きでっていうのと同じくらい、そういう作品に関連したものも色々と好きな人だから、なんですよ。

(本を見せる)【画像】ウルトラマンタロウ
『ウルトラマンタロウ 完全復刻版 (復刻名作漫画シリーズ) 』(石川賢とダイナミックプロ)
https://epbot.site/img/semi/nico_190818_14859.jpg

 これは、石川賢が描いた『ウルトラマンタロウ』をコミックにしたものなんですけど。
こういうのも、やっぱり、当時のオタク達、ファン達というのは、すごく熱心に読んでたんですよね。