>>927
 ということは、「仲が良かったと思いたかった」というふうに解釈することもできる。
現にお母さんの家に行った時にも、弟は全然出てこないんですよ。

 たぶん、お母さんには「もっと弟と思い切り遊びたかった」というコンプレックスがあったんですよね。
 このコンプレックスという言葉は、ここでは劣等感だけではなくて、いろんな思いがこんがらがって、
ほどけなくなっているという、心理学的な使い方でコンプレックスという言葉を使ってますけども。
そんなお母さんのコンプレックスを解放してあげているんです。

 他にも、高校生になった自分自身も出てくるんです。
 たぶん、家出みたいなことを考えて、駅にずっと座っていて、電車が来た。その時に幼い自分が電車に乗ってしまう。
 結果、「もう、こんな家は出ていこう。こんな町を離れよう」と思っていた高校生の自分は、
東京駅に行ってくれることになって、そこで自分探しをすることになった。
 これによって、高校生になったくんちゃんは、そんなことをしなくて済むというわけですね。

 星野源が声優を演じた父親だけは、ちょっと複雑なんですよ。
 お父さんは、「子供の頃、自転車に乗れず諦める」ということになっていたんですけど、
大人になってから諦めずに自転車に乗る自分の息子の頑張りを見て、
「過去の自分の、自転車に乗れなかった。ダメだったんだという、あの悩みには意味があったんだ。

今、自分の息子を見ることで癒やされているんだ」と気がつく。
 つまり、いろんな出来事の交差点にこの主人公の男の子はいるんですね。

 こういうふうに作っていると、「この映画は『千と千尋の神隠し』ですよ」っていうのがバレないんですよ。
 でも、バレないんだけど、面白くはないんですよね(笑)。

 じゃあ、これはもう外しますね。

(ネタバレ警報のプラモデルをどける)

 まあ、いろいろ話したんですけども。

 この「バレなきゃいい」っていう細田さんの作り方が……何と言えばいいんだろうな?
そこそこ難しいことをやろうとしてるんですけども、エピソードが弱いんじゃないかと思うんですよね。

 こういう言い方も失礼ですけども、たぶん、もうちょっと素直に
「何が元ネタで、実はどの作品に思い入れがあって、俺だったらそれをこう作るんだ!」
っていうことを言い切っちゃった方が、もうちょっと良かったような気がするんですけどね。

(録画映像終了)