>>217
 半平太が目を覚ますと、何かが足りない気がする。だけど、それが何かはわからない。思い出せない。
 そんな中、お母さんが「もう学校に行きなさい」と言って、半平太にコーヒーを淹れてくれるんです。
コーヒーというのは、消えてしまったガンモがすごい好きだった飲み物なんですけど。

 半平太は、コーヒーを飲んだ瞬間に、なぜか涙が出てくるんです。
 「自分は何かを忘れている。それは一番大事なものだったはずなのに。なんだろう?」ということで、
涙だけが止まらないというラストシーンなんですよ。
 ものすごい感動のクライマックスなんです。

 「要するに、『君の名は。』ってそういうことね」と。
 「わかった。『Gu-Guガンモ』だったんだ!」と。
 「泣けるあれを持ってくるのは偉い!」と、僕は思いました(笑)。

 何が言いたいかというと、『君の名は。』にしても、『Gu-Guガンモ』にしても「ハイ・ドラマ」を目指しているんですね。
 それが「半平太がコーヒーを飲んだ時、なぜだかわからないけど涙が出てきた」なんですけど。

 でも、『Gu-Guガンモ』って、僕が改めて話をするまで、みんなも思い出さなかったくらいの作品なんですよ。
つまり、名作だけどマイナーなんですね。

 ええとですね、今回、新海誠が挑戦したのは「作家性の諦め」なんですよ。
 それまで、新海誠というのは、例えば『ほしのこえ』という「愛し合う2人が何光年も離れ離れになってしまって、
男の子の方は女の子のことをいつまでも思っているはずなのに、勝手に結婚なんかしやがって、
女の子の方は宇宙の果てで宇宙人と戦っていて、いつか私はあの人に会える時が来るんだろうかと考えている」みたいな、
もう救いようのないほど切ない話を連続して描いてて、そこそこ評価もあったんですけど。

 「このままでは、俺はジブリにはなれない! 庵野秀明にはなれない!」と、
自分で思ったのか、他人から言われたのかはわからないけど。

 そこからガラッと作風を変えて、「よっしゃあ、わかった! 俺はもう、中学生や高校生、言い方は悪いけど
馬鹿でもわかる映画を撮るぜ! ほら、作った! ほら、馬鹿が泣いてる!」というのが『君の名は。』なんじゃないかな、と。

 まあ、「馬鹿が泣いてる」って言ったら、言い過ぎなんですよ。
 さっきも言ったように、世の中の大半の人は、そういうのしかわからないんだから。
メジャー作家としてデビューしている以上は、みんなにわかるのものを作るのが正しいんですね。

 わかる人にだけわかっちゃったら、それはもう『水曜日のダウンタウン』になっちゃうんですよね。