>>209
 アニメーター、絵描きというのは、習性として「自分より絵が上手いヤツの言うことは絶対に聞くが、
絵が描けない人間の言うことはなかなか聞かない、説得されない」という頑固者が多い、と。

 そんな絵描き達に、こちらの意図を納得させて、一度描いたものを描き直させるというのは至難の技だ。
「こういうふうに描き直してくれ」と言うと、「描けません」とか。
「じゃあ、そっちで勝手に描いてください」なんて、開き直るヤツまでいる。

 「そんな時、演出家が対抗できるのは、言葉の力だけだ」と。どれくらいの言葉を持っているのか?
どれくらいの理屈を持っているのか? もう、言葉でひたすら説得するしかないんだそうです。
 絵描きが絵で勝負するならば、演出家というのは言葉で、理屈でそれに対抗する。勝負する、と。

 高畑勲っていうのは、実はそっち側、押井守側の人間なんですよ。
 宮崎駿って、自分で絵が描けるじゃないですか。だから、アニメ監督としては、ズルいというか、ちょっと特別なんですよ。
 宮崎さんって、絵が描けるから、最悪「こう描くんだよっ!」って描いて見せることで、
大体の人は「うわあっ! それは思いつかなかった! それは描けてなかった! すいません!」ということで参っちゃう。
 つまり、絵描きに対して絵で反論することができるんですね。

 このシーンでも、本当は、露木監督は「なぜダメか?」というのを言葉で言わなきゃダメなんですよ。
 「こんな非常識なものはダメだ! 誰が許可したんだ!?」って怒って、対立シーンになっているんですけど、
すごい「やらせの対立」っぽいんですよね。

 本当の監督だったら、ここで「このシーンは、こうでこうでこうだから、この絵はダメなんだ」というふうに、
あくまで言葉でダダダッと言うのが、当たり前のやるべきことなんですよね。

 でも、このシーンではやらない。ただ単に権力争いというか、意地の張り合いみたいに見えちゃう。
 なぜかというと、実は「ここにいる、高畑勲をモデルにした坂場さんというキャラを立てるため」なんですよね。
 坂場というのは、このドラマの中でヒーロー属性として設定されているんです。

 ここで露木さんが、論理的なことをバーっと言っちゃうと、坂場のキャラが弱くなっちゃうんですね。
 そして、この『なつぞら』という舞台上には、坂場以上に理屈っぽい人間がいてはならないんですよ。
それが、彼の個性であり、ヒーロー属性だから。

 その結果、露木監督の怒り方は、理不尽な、今コメントで流れてたんですけど、
「噛ませ犬」っぽい怒り方になっちゃうわけですね。

 このヒーロー属性というのを、わざわざ設定したことによって、いわゆる坂場(高畑勲)が『なつぞら』
というドラマの中での主人公なつの相手役、つまり、なつの恋愛相手になるということが、ほぼ確定したと思います。