>>836
 それは、ガルマには、この類まれなる能力があるからなんですよ。ガルマ・ザビという、
この甘ったれのお坊ちゃんは、それゆえに自分の弱みを他人に見せられるんです。
 そして、実はこれは、シャアが一番欲しかったにも関わらず、手に入れられなかったことなんです。

 子供の頃、自分の部屋へズカズカと入ってきたキシリア・ザビに対して、
シャアは一瞬、そういう対応をしようとしたんですけど、やっぱり出来なかった。
だけど、シャア自身がやりたかった「大人に対して本音で喋る」ということを、ガルマはどんどんやっちゃう。
 「そういうガルマに対して、シャアがどんな思いを持ったのか?」というのが、
伏線として、ちゃんとここで入っているわけです。

 デギンとかドズルというのは、ガルマを単に可愛がっているだけのように見えるんですけど、
彼らはガルマのこの能力というのを見ているわけですね。
 ガルマの持つ、ギレンやキシリアにない能力というのは、やっぱり“愛される力”なんですよ。

 ギレンというのは恐れられるし、尊敬されるんですけど、そこが決定的に足りない。
なので、デギンはギレンを“とりあえずの繋ぎ”としてしか見ていない。

 ドズルが「ガルマはいずれ俺を超える〜」と言ってるのも、人間個人としての才能の話ではなくて、
もっと大きい可能性というのをガルマに対して感じているわけですね。

 ガルマのそういった部分は、『機動戦士ガンダム』のテレビシリーズでは、
かなり後回し後回しになっちゃってるんですね。

 「イセリナ、恋のあと」というエピソードで、「なぜ、イセリナ・エッシェンバッハという女の人が、
あんなにもガルマのことを好きだったのか?」とか、
「なぜ、自分で殺したはずなのに、殺した後でシャアはあんなに落ち込んでいたのか?」というのを見せることによって、
ガルマという人間を多面的に描いてはいます。

 でもやっぱり、まだまだ描き足りない部分がある。
 今回の『THE ORIGIN』でも、ここまでやってるんですけど、やっぱりなかなか伝わらないわけですね。

 それが“優れた者にはわかるガルマの魅力”なんですよ。
 つまり、能力のある人間には「ああ、俺にはこれがないな」と、ガルマの良さがわかるんです。
逆に、優れていない人には、ガルマは「単なる甘ったれた坊っちゃん」というふうに見えちゃうんですね。

 まあ、わかりにくい心理描写だったので、今回は珍しく『ORIGIN』版というのを解説してみました。
 ここは、後にテレビ版の12話「ジオンの脅威」の、「坊やだからさ……」と見比べてみると面白いかもしれません。
 これについては、このガンダム講座の中でも、また取り上げようと思います。