>>632
 でも、真に優れた絵画というのは……さっきからこっちに立ててるやつは、この表紙の絵のジグソーパズルなんだよね。

(シ?ク?ソーハ?ス?ル)
http://livedoor.blogimg.jp/okada_toshio/imgs/e/8/e8a16acc.png

ここからもわかる通り、優れた絵画というのは、一瞬だけ芸術になることはあっても、最終的には元の工芸、
いわゆる「襖とか屏風に描いてある絵」のような実用品みたいなところに、どんどん戻っていくものだというふうに思っているんだ。
ある段階で「表現」自体が目的化することはあっても、いずれは「機能」に戻る。

 何の話をしようとしているのかというと、アニメってのはさ、もともと「子供に見せるためのもの」であったり、
もしくは「ファミリー層に見せるもの」っていう機能があるんだよ。

 その機能というのを置き去りにして、アニメの表現自体が目的化してしまった作品もあるんだ。
こういった、機能を置き去りにして目的化しちゃった作品というのは「芸術的だ」と言われて評価されやすい。

 具体的に言うと押井守の作品がそうだし、俺が嫌いなタイプの湯浅さんの作品なんかもそうなんだよね。
つまり、本来持っている機能というのを無視して、作者とか、その取り巻き全員が
「アニメというのは子供だけのものじゃない!」みたいなことを言いながら、
表現自体をどんどん前に出して行ってしまえば、それはもう芸術になってしまう。

 いや、もちろんこれは「芸術が悪い」という単純な話でもないんだよ。
機能のみに忠実になって、「子供のためのもの」という部分だけを守ろうとしている作品というのは、建前ばっかりで面白味がないんだ。

でも、だからといって、表現だけに走っちゃった作品、いわゆる視聴者を置き去りにしたままに作家性のみを追いかけて行った作品というのも、
僕から見てみたらつまらない。

 岡田斗司夫が一番面白いと感じるのは、機能と表現がぶつかり合った、緊張感のある作品なんだ。

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この記事は【岡田斗司夫アーカイブ】から選りすぐって、ハイライトをお届けしました。