>>890

集中砲火とはネットを中心とした私刑だった。

私刑とはじつにいい加減だ。

週刊誌やネットのターゲットとなった著名人は数多くいた。
しかし、その扱われ方は様々で、まるで何事もなかったかのようにメディア出演を続けていた人物もいれば、
その後の人生設計に大きな変更を余儀なくされるほどの
バッシングに遭った人物もいた。

その量刑の基準は明文化などされておらず、すべてが世間の感情のさじ加減に委ねられていた。

この“さじ加減”は、言ってみればギャップの大きさに強く影響されていたように思う。

「いかにも」と思われていた人物ほど傷が浅く、
「意外だ」と思われていた人物、言い換えれば「誠実」「清楚」
などのイメージを付与されていた人物ほど火柱が高く上がった。

犯した罪の重さは同じでも、与えられる罰の重さは人それぞれだった。

岡田は後者に属した。
人々の抱くイメージが「清く正しいオタキング」だったのだから無理もない。