>>45
> でも、そうなったらそうなったで、今度は時の人であったウォルト・ディズニーに接近して、
>彼のテレビ番組に出演して、自分が主役の科学番組のシリーズを作らせたんですよ。

これもウォルト・ディズニーの方からフォン・ブラウンに対し依頼があったので
宇宙探検に関する3本のテレビ映画の制作に技術監督として参加した。

フォン・ブラウン宇宙計画のためには一般大衆の支持が無くては不可能との思いから
その後も多忙な中、ディズニー社との仕事を引受けている。


そもそも、ドイツ宇宙旅行協会が既に一般大衆にロケットの事を興味をもってもらう事の重要性を認識していた

そこでオーベルトはフリッツ・ラング監督(SF映画の古典的大作『メトロポリス』の監督として有名)の「月世界の女」の監修をした時に、
映画で打ち上げられるロケットを製作する資金をラングから提供してもらうよう提案していた。

オーベルトはわずか3ヶ月の間に液体燃料ロケットを設計・製作しようとしたが、
実験中に爆発。オーベルトは耳の鼓膜が破れ、右目を失明する。
(このエピソードからもオーベルトがコミュ障とは思え無い。)


なので、最初にディズニー社の仕事を引受けた時は、アメリカで冷や飯を食っていた時で、
「ドイツではもう20年以上も前にやっていた事だ。」と周囲にボヤいていた。