2018年09月07日07:00
手塚治虫と宮崎駿と鈴木敏夫、3人のBL本を希望です
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51550295.html

 「宮崎駿、鈴木敏夫、手塚治虫の三人はBL関係だったのか?」という都市伝説の話をします。
 まぁ、これは僕だけが言ってる都市伝説なんですけどね(笑)。
 この話に登場するのは鈴木敏夫さんです。
・・・
 『レッドタートル ある島の物語』っていう何年か前にフランス人が作ったジブリの作品なんですけども。
 もう本当に僕は『レッドタートル』に関して愛が無いですね。
 「フランス人が作った」としか言ってない(笑)。
 監督名とか、そんなレベルじゃないんですよ。

 「何か俺は見てないけど」ってやつ。
 まぁ、そのうちやるかも分かんないんですけども。
 今の所、見ても無いので、いい作品かどうかも分からないんですよ。

 何となく高畑・宮崎が作ったエゲつなく面白いものに比べて薄いだろうと思って、見てないだけなんですけども。
 その『レッドタートル』の試写会で、ジブリの鈴木敏夫プロデューサーが上演前に講演を行い、
宮崎駿監督とのエピソードを次々と暴露して会場をわかせた。
 そんな記事があります。

 「その中で、現在は小金井にあるスタジオが、なぜ小金井に設立されることになったのか?
鈴木さんは、宮崎駿との物件探しの思い出を語った」と言う記事を見つけたんですけどもですね。
・・・
 スタジオジブリは、元々は三鷹にありました。
 それで三鷹の前は吉祥寺にあったんですね。

 吉祥寺の、武蔵野文庫っていう喫茶店があるんですけども、東急デパートの裏側です。
 東急デパートの筋を二つ裏に行ったところに武蔵野文庫っていう、これは僕もときどき行く、
まぁいい雰囲気の喫茶店があるんですけども。

 そこの二階が、たぶん今はパーマ屋さん、ヘアカットスタジオに なってると思うんですけども。
 そこに最初のスタジオジブリが出来ました。

 そこのスタジオジブリが『となりのトトロ』のときに手狭になったので、
武蔵野文庫って喫茶店の二階は『火垂るの墓』のスタジオになって。

 それで、大体そこから100メートルぐらい離れた、一階が雑貨屋さんのビルの二階に
『となりのトトロ』のスタジオの、第二ジブリが出来上がりました。
 その後、引越しを繰り返して、現在の小金井のスタジオに移るんですけども。

 その小金井に移った理由です。