>>348
 まあ、「縁もゆかりもなかった」というか、
「『カリオストロの城』の後、宮崎駿というのは、ほぼ出入り禁止状態になった」
と言われているんですけども。これは完全な出入り禁止ではなかったんですね。

「確かに作品はヒットしなかったんだけど、それは宮崎駿の責任とは決して言えない」
と言われている状況だったんです。 そんな中、流れを作ってあげたのが鈴木敏夫だったんです。
・・・
 つまり、『トトロ』から遡ること10年ほど前、
日本テレビの24時間テレビ内でのスペシャルアニメ用の企画として、
宮崎駿は『となりのトトロ』を出していたんです。
まあ、この時は企画書というよりもイメージボード1枚だったらしいんですけど。

 ところが、当時のアニメというのは「冒険路線のファンタジーやSFしかダメだ」と言われていた時代だったんです。
なので、手塚治虫も『100万年地球の旅、バンダーブック』というのをやったんです。

 それに続く第2回目として、『となりのトトロ』なんていう、
昭和30年代を舞台にしたオバケと女の子の交流だなんて地味な話が通るはずもない。

結果、日テレはこれにダメを出して、これに関して、以後10年間、宮崎駿はグチグチ拗ねることになるんですね。

 そして、ダメを出された宮崎駿が仕方なく書いたのが『海底世界一周』という、ちょっと派手目な企画です。
 この『海底世界一周』というのが、なぜダメになったのかはわかりません。
おそらく、日テレから企画を受けた東宝がコンペで負けたのか、もしくは『ルパン三世カリオストロの城』の
興業成績の悪さが影響していたのかもしれません。

 結果的に、その企画の中から「海底が舞台」という部分だけが残り、
「やっぱり今年も手塚先生にお願いしよう」という流れになり、
最終的に『マリンエクスプレス』になったんじゃないのかと、僕は考えています。

 この辺りの、「こういう理由で『マリンエクスプレス』になったんじゃないのか?」
っていうのは、本当に僕の推察なんですけど。

 だけど、この推察は、実際に僕が見た『海底世界一周』の企画書と、
その時期の業界全体の人物関係から見て「ほぼこれで間違いないんじゃないか?」と思っています。