>>559
 3つのグループから1000円ずつたかられているとしましょう。そしたら、たかられた時に、その中の一番強いヤツに愚痴るんですよ。
「いや、俺、本当はもうちょっとお金持ってるんだけど、君以外にA君とB君にたかられてるから、君には1000円しか払えないんだよね。
A君とB君に君が話をつけてくれるんだったら、俺、1500円くらい君に払えるんだけど」って。そうすると、
言われた方の心は、やや動くんですよね(笑)。

 そして、もし、一旦、こういう関係、つまり、貨幣空間に置き換えることが出来たら、その瞬間に、
そいつは“いじめられているやつ”ではなく“ボディガードを雇ったボス”になるわけです(笑)。

 だからといって、自分から1000円をたかるやつに、ボスみたいなことを言っちゃ駄目ですよ。
でも、そういうやり方をすることで救われる人もいる。
 こんなふうに、貨幣空間に切り替えるという解決方法もあるんですよ。
でないと、「いじめられるし、金も取られる」という、実害がある上にプライドまで傷つくじゃないですか。

 だったら、もう逆に、1人に1.5倍払って残りのヤツらを押さえてもらう。
そうすれば、一番強いヤツの手下の中でも、ちょっとランク外のところに入れるわけです。
お金で繋がっているんだから、そいつの要求を聞くこともしなくていい。つまり、子分でもないわけですよ。
 こういう考え方です。「こんなふうにやれ」と言っているんではなく、考え方なんですよね。
・・・
 「人生に友達は必要か?」と聞かれれば、仕事とかお金と同じように、
つまり、金融資産とか人的資産と同じように、「あれば最高のもの」なんです。

 でも、やりがいのある仕事が自分の時間や自由を奪うように、財産というのが家族や友情をややこしくさせるように、
友達というのは自由とか猛烈に稼ぐという、やりたいことの邪魔になる存在なんです。

 ここからは、この本の中に書いてあるまとめになります。
 ちょっと長いんですけど、エピローグとして“幸福な人生の最適戦略”というのが書いてあります。

 まず、金融資本に関しては「経済的独立を実現すれば、金銭的な不安から解放され自由な人生を手にすることが出来る」と書いてあります。
つまり、金融資産というのは「欲しいだけのお金を持ってなきゃいけない」というわけじゃないんです。

 例えば、1000万とか2000万の腕時計がどうしても欲しければ、その人は1000万とか2000万稼いで
その時計を得るまで不自由を感じなきゃいけないんですね。ところが1000万や2000万の時計なんか欲しくなければ、
その人の経済的自由というのは、もっとコストが安くつくんです。つまり、欲望と自分のセンスとのバランスになってくるんですよ。