2018年08月29日07:00
友達不要論と『幸福の「資本」論』3 「友達を金で買って何が悪い?」
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51550131.html

 友達関係のコスパの悪さをまとめると、「関係が弱い割にしがらみだけが強い」ということなんですよ。
 でも、プア充のように、そういった関係を、「毎日行動を一緒にする」とか、「レジャーを全部一緒にする」、
「仕事を同じにする」というふうに、あえて強くすることで、全体を家族化して一緒に生きていくという戦略も、あることはあるんですね。

 ところが、そうでない戦略の人は、そこまでして友達を優先しなくてもいい。こういうのが、友達不要論の基本だと思います。
 例えば、林先生だったら、仕事仲間がいたり、取引相手がいたり、番組のスタッフがいたり、弟子みたいな人もいっぱいいるみたいです。
 タモリさんも同じです。趣味繋がりの人とか、番組スタッフとか、とりあえず普段、喋ったり相談する人には、全然困らないんですね。
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 “最低限の人間関係”というのは、家族であってもいいし、恋人であってもいいし、実はペットでもいいんですよ。
あるいは、毎日毎日、話しかけているポスターでも、実はいいんです。
 「そういう愛情空間というものが、自分の中に確立していれば、実は友達空間なんて不要だ」という人って、結構いるんです。

 でも、不要だからといって、ゼロには出来ない。
 なので、なんとなしの友達空間が欲しい人は、売れてる芸人さんみたいにするんですね。
 売れてる芸人が、売れてない後輩芸人を連れて、旅行に行ったり飲み歩いたりしてるじゃないですか。
「彼女がなかなか出来ない」とか「結婚できない」って言っている芸人ほど、周りに後輩の飲み友達を大勢連れて、
そいつらにお金をいっぱい払ってるんですけど。ああいうふうになっていくのは当たり前なんですよ。

 つまり、本来、“友達関係”にあるべきものを、「お金を出して連れ歩く」という“貨幣関係”の方にシフトするんです。
 すると、友達関係に特有の「気を使わなきゃいけない」というような、政治的な面倒臭さから解放されるんです。
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 この政治的な面倒臭さというのは、例えば、いじめです。
 いじめっていうのは、友達関係でないと発生しにくいものなんですよね。
貨幣関係では、当たり前だけど、あんまり発生しにくい。

 これは極論な例になっちゃうんですけど、例えば「学校でたかられている」という状態があったとします。
これは、まあ、その人の友人関係の中で起きたトラブルですね。
 これについても、「だったら、これを貨幣空間に置き換えた方がマシだ」という発想もできます。
つまり、「たかるやつの1人を雇った方がマシ」なんですね。