2018年08月20日07:00
『ハウルの動く城』に隠された二重構造 「女性向けのロマンスと男性向けの家庭論」
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51549972.html

 まず一番最初に話しておかなきゃいけないのは「『ハウルの動く城』というのは、
ジブリ初と言ってもいいくらい“賛否両論の映画”だった」ということなんです。
 つまり、これを見て感動する人はメチャクチャ感動するんだけど、文句を言う人はいっぱい文句を言うんですよ。

 ちなみに、宮崎さん自身は、この『ハウル』を作った頃からこんな事を言っていました。
 「子供には楽しくて未来に希望の持てるようなアニメを見せなきゃいけない。そこだけは譲れない。
アニメは子供のものだ。でも、それを一緒に見に来る大人にとっては、ほろ苦いんだけど、でも、
人生ってこういうものだよなと思えるような、ちょっとした癒しになる作品を作りたい」って。

 こういった、1つの映画の中に、子供にとっては「ハッピーエンドのすごく楽しい物語だった」
と思えるような要素と、大人にとって「ああ、ちょっと切ないな」って思える要素の2つを
取り入れる二重構造というのは、宮崎作品としては後期に入って初めて使われるようになったものなんです。
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 『ナウシカ』から『もののけ姫』までは、二重構造ではなく“対立構造”なんですよ。
 それまでは、宮崎駿も「2つのそれぞれ相反する立場の人間が、お互いの信念をぶつけ合う」という、
高畑勲が大好きな共産革命の思想のような、「テーゼ → アンチテーゼ → ジンテーゼ」という構造で作っていたんです。

 例えば、『もののけ姫』では、「“もののけ”たちの自然の世界と、鉄を作って自然を破壊する
人間たちの世界の共存というのは、本来はありえないんだ」という対立構造があります。

 しかし、『千と千尋』や、『ハウル』、『ポニョ』の辺りから二重構造に変わったんですよ。
 なぜかというと、やっぱり対立構造で物語を作ろうとすると、どうやっても“楽しくて明るいハッピーエンド”を
ラストに持って来にくくなってしまうから。なので、宮崎さんは、
テクニックとしてはなかなか難しい二重構造で作品を作るようになりました。

 例えば、『千と千尋』では「最後、お父さんとお母さんが帰ってきてよかったね
」というハッピーエンドを見せながら、「でも、なぜ千尋は“死の世界”に行き、そこから帰って来たのか?」
という含みも持たせて、二重構造としての物語を描いています。

 ちなみに、今のところ最後の作品である『風立ちぬ』では、
宮崎駿は対立も二重構造もかなぐり捨てて、
言いたいことをどんどん繋げて物語を描くという、
“狂乱期”に入っていて、僕はそれをすごく面白く思ったんですけども(笑)。
 まあ、『ハウル』はそういった二重構造期の作品です。
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