【オネアミスも】岡田斗司夫637【監督/脚本山賀博之
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【スレタイ由来】
▼ 395 おたく、名無しさん? 2018/06/16(土) 17:33:36.85
AMAZONの商品説明でも監督、山賀だねwwww
王立宇宙軍 オネアミスの翼 [Royal Space Force−The Wings of Honneamise] [Blu-ray]
山賀博之 (監督, 脚本), 森本レオ (出演), 弥生みつき (出演) 形式: Blu-ra >>965
>岡田とトシオは今でも一心同体なわけ
二重人格者なのか
>>795 続き
27 00 228,211
>この商品を買った人はこんな商品も買っています
>映像研には手を出すな!3(ビッグコミックス)
>大童澄瞳 >>967
項羽と劉邦の関係だな、80年代と90年代はこの2人の時代だった、そしてその影響は00年代の漫画屋アニメ、
例えば涼宮ハルヒやけいおんに見られる、10年代の作品だと進撃の巨人とか窓かまギカだな、
この2人の英ky方を受けていない作品はナイトいっても過言ではない、最近のアニメ見ててもあーこれはあノマニメから
取ったなとかすぐ分かるからね、案外俺はそういったの見抜くの上手いから一発でわかるんだよね >>971
禿げ散らかした妄言垂れ流しか?
誤字脱字で賢いつもりか?
ダッサw 変に話が上手い人は思い込みが激しいタイプが多いらしい。
岡田もニコ生で堂々と自信ありげに喋っているのは
「オレって凄い」という思い込みあるから。
オドオドと話す人よりも説得力がある。
が、内容を子細にチェックすると、たいまちボロがでる。
もう出版の仕事も来ないだろう。 もう>>276みたいなことをドヤ顔で語れなくなるな 153 名前:名無しさん@1周年 New! 投稿日:2018/06/26(火) 22:06:02.95 ID:9GLpyDA00 7回目
>>147
岡田斗司夫は調子に乗りすぎた
大阪芸大のOBには
あの大建築家の安藤忠雄がいる。
あの安藤忠雄が烈火のごとく怒って
岡田をクビにするように大学に苦情を入れたそうだ。 >ガイナの作品から、「岡田斗司夫」のクレジットが少なくなっていく。
>初めはそんなに気にしなかったんだけど、さすがにこれはちょっと気味が悪いって
>思ったときに何でか聞いてみた。
>
>そしたら、どうもガイナックスに対する「岡田斗司夫」の影の大きさが
>自分が思っていた以上に大きいらしいということがわかった。
これもウソくさいな。
岡田の発言は何も信用できんな
>>975
重慶爆撃の知識もめちゃくちゃだったもんな。
歴史に疎い人は岡田の発言を信じちゃうんだよ。そうやって歴史の事実が歪んでいく。はっきり言って害悪だね >>982
ガイナックスだからではない岡田斗司夫がいる会社だから、我々も融資するんですって、
銀行の人も泣きながら、岡田に頭を下げたらしいからね。 いよいよ岡田の還暦生誕祭まで秒読み開始!
当日はアキバで特売セールとかあるかもしれないから要チェック! 2018年06月27日07:00
『かぐや姫の物語』解説 補足 「高畑勲の作家としてのホームポジション」
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51548727.html
5月にやった『かぐや姫の物語』の解説について、こんなお便りが届きました。
――――――
実はわたし、大学、大学院で古典文学を専攻していました。
だから高畑さんの「かぐや姫」は公開当時からとても興味深かったです。
とくに「これはすごい!」と思ったシーンが姫が琴を弾く場面です。
岡田さんは、「姫は異性の前ではスキルが上がるので、翁がやってきたら琴を弾きこなせてしまった」
と解釈してらしたのですが、わたしは別の解釈をしました。
姫が弾いていた琴は、琴は琴でも、“キン”(琴)の琴という、古典文学の世界では、
天人の末裔であるとか皇族とか、要するに特殊な血筋の人間でしか弾くことができない、
ある意味で幻の楽器みたいなもので、我々が「琴」と聞いてイメージするような“ソウ”(箏)の琴とは全然別の楽器なんです。
それを姫がさらりと弾きこなしたというのは「姫が天女の生まれ変わりだ」ということを暗示する演出だと、わたしは思いました。
「いやー、すごい。さすが高畑さん」と、感心するのと同時に、
「王朝文学を学んできた自分にはかろうじて分かったけど、一般の人には絶対分からない、えげつない演出をするなー」
と映画館でぞっとした思い出があります。
本当に高畑さんの映画はえげつないですね。そこがわりと好きですが。
――――――
そうなんです。僕らが「琴」と言われた時にイメージするのは、正しくは“ソウ”という楽器なんです。
つまり、琴には、“キン”と“ソウ”というのがあり、元々のキンというのは、
もう僕らは、ほとんど見ることができないんです。
いわゆる女の人がやっているようなあの楽器は、
弦の間に橋みたいなのが入って、音階を調節する楽器なんですけど、
かぐや姫が弾いてるのは、1枚の板に真っ直ぐな糸だけが張ってあり、
それを胡座をかいた足の上に乗せて弾く、キンという楽器だそうです。
これについては、『かぐや姫の物語』のメイキング本の中にも書いてありました。
録音の時に、ミュージシャンの人が来たんですけど、そこに用意されていたのが“ソウ”だったんですよ。
いわゆる、現代でも使っている普通の琴が置いてあった。
なので、高畑さんに、アニメの監督だから知らないんだろうと思いながら
「これね、実は違う楽器なんですよ」というふうに言ったら、高畑さんが「そうなんですよ。
これは違うんですよね。“キン”でなければ」と言ったそうなんですよ。
「わあ、すごいな、この監督。知ってるんだ」と思って、その後、二人で相談したそうです。 >>986
この2つの楽器の何が違うのかと言うと、現代も伝わっている“ソウ”という楽器は、音が響きすぎる、
鳴りすぎるそうなんですね。それに比べて、かぐや姫が使っていた時代の“キン”というのは、もっとくぐもった音だそうです。
なので、結果、しょうがないから弦の下にタオルを何枚か敷いて、音があまり反響しないようにして、
かぐや姫が琴を鳴らすシーンを作ったそうなんですけども。
それをちょっと思い出して、「本当にすごいな、あのオッサン」というふうに思いました。
高畑アニメに関しては、本当に研究すればするだけ深みがあるんですよ。
・・・
今のアニメの作り方、映画の作り方、たぶん、小説も漫画もそうなんですけども、二極化してるんですね。
つまり、“高畑さんっぽい”というか“わかる人にはわかる”というような、深みというのをずーっと作っていくような、
作者としても「まあ、ついて来れる人だけついて来てくれればいいよ。初心者にもわかりやすくはしてるけど、
実はその奥にもいろいろと考えて用意してるんだけど」という作り方。
意外にも、『進撃の巨人』はそういう作り方をしてるんですよ。あとは『約束のネバーランド』もそうかな?
他にも『HUNTERXHUNTER』なんかもそうなんですけど。
それに対して、「漫画とかアニメの役割というのは、とにかくわかりやすいことであって、テーマとかも、
できるだけセリフとして直接表現するし、とにかく間口を広げて、できるだけ沢山の人にわかって貰おう」という作り方。
このどちらかに二極化してるんですね。
・・・
映画作家というのは、どちらかというと前者のタイプが多くて「わかる人にわかればいい」ってしがちなんですけども。
テレビドラマって逆なんですよ。「とりあえず見てる人全員にわかってほしい」という文法で作るんですね。
なので、結果として、テレビで活躍している人が映画を撮ると、ほぼ失敗するんです。
これはもう、「ほとんど例外なく」と言ってもいいくらいです。僕も好きだったテレビであんなにイケてた人が、
映画を作ると深みがなくなってしまう理由は、テレビと映画が本質的に持っているものが違うからです。
テレビというのは、全てを明らかにして、わかるようにして、
そのわかるものの連続で何話も何話も話数を掛けて、ゆっくり見せて行くものなんです。
『真田丸』もそういう作り方ですよね。
しかし、そういうやり方は、こと映画に来ちゃうと「含みがなくて面白くない」ものになってしまうんです。
宮藤官九郎にしても誰にしても、とりあえず、僕がテレビで好きな人っていうのは、
全員、映画に行くとダメなんですけども、そこら辺が原因じゃないかと思っています。
・・・
そういう意味では、高畑勲に関しては「映画ではやり過ぎになる」んですよ。
でも、テレビアニメとして『赤毛のアン』とか『アルプスの少女ハイジ』とか
『母をたずねて三千里』をやった時には、ドンピシャなんです。 >>987
“高畑ボリューム”っていうのかな? それが映画になると、もう、カルピスの原液状態で、
「いや、高畑さん、そこまで作っておいて、『かぐや姫の物語』って、
お話はクソつまんないですよ」というふうに思っちゃうんですけども(笑)。
作家によって“ホームポジション”というのがあると思うんですよね。
すみません、つい「つまんない」とか言っちゃったんですけども。
いや、高畑さんの『火垂るの墓』にしても『かぐや姫の物語』にしても、ストーリーだけ見れば絶対に弱いんですよ。
だけど、それをテレビシリーズに持ってくると、ストーリーが弱くても、何話も何話も使えるから、すごいものを伝えられる。
例えば、『母をたずねて三千里』なんて、言ってしまえば
「イタリアのジェノバにいた、10歳にもなっていないような少年のマルコが、大好きなお母さんに会いたい一心で、
一生懸命に海を渡ってアルゼンチンまで行って、さんざん苦労してお母さんに会えた」というだけの話なんですよ。
だけど、これをテレビで50回に分けてやったらどうなるのかというと、ものすごいことになるわけですね。
本来、高畑さんというのは、そっちに向いてる作家なんですよ。
それなのに、50話掛けて、1年連続のテレビシリーズに使うような情熱を、たった2時間くらいの枠の中に込めてしまうと、
『かぐや姫の物語』のような“沼”みたいな作品が出来ちゃうんですよ(笑)。
やっぱり、正直言って、僕は「高畑さんはテレビの作家であった」と思います。
その点、宮崎駿はテレビでも映画でもどちらでもいける、ちょっと稀有な才能を持っていたというふうに思ってます。
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この記事は『岡田斗司夫ニコ生ゼミ』6月17日(#235)から一部抜粋してお届けしました。
【ブロマガ版】
企画編集:のぞき見のミホコ(FREEex)
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ライター:ヤムアキ(FREEexメンバー)
岡田斗司夫
and
Special Thanks To読者のあなた >>986
>そうなんです。僕らが「琴」と言われた時にイメージするのは、正しくは“ソウ”という楽器なんです。
何が「そうなんです。」だよ。岡田、絶対に知らなかっただろう。
もし「琴には、“キン”と“ソウ”というのがる」という事を知っていたら
岡田の性格上、「こんな事を知っているオレってスゴイやろ。」という態度で
絶対に喋っているはず。
知ったかぶりしても、すぐにバレるんだがw
バレないと思っている岡田はバカだなあ。 >>988
>例えば、『母をたずねて三千里』なんて、言ってしまえば
> 「イタリアのジェノバにいた、10歳にもなっていないような少年のマルコが、大好きなお母さんに会いたい一心で、
> 一生懸命に海を渡ってアルゼンチンまで行って、さんざん苦労してお母さんに会えた」というだけの話なんですよ。
10歳の子供がジェノバからアルゼンチンに一人で行くだけで十分にすごい話だと思いますが・・・・w
無理矢理ストーリーが弱いということにしたいんですねw >>988
>作家によって“ホームポジション”というのがあると思うんですよね。
【ホームポジション】
キーボードでタッチタイピングするとき、基本となる指を置く位置。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%9D%E3%82%B8%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-8771
恐らく岡田はホームポジションの意味を分かってない。
「ホーム」と「ポジション」で勝手に自分で解釈をしているんだと思う。
この場合は「得意分野」の方がわかりやすい
>作家によって“得意分野”というのがあると思うんですよね。
利口ぶって意味を正確に把握していない言葉を使うから
ただでさえ解りにくい文章が余計に解りにくくなる。
しかし岡田自身は得意満面で喋っているんだから、どうしょうもない。
岡田は常識的な知識も無く、基本的なボキャブラリーも無く、
論理的に考える能力も無いので、話す内容は支離滅裂なものになっている。 >>991
造語症
https://goo.gl/wUywU9
オリジナル単語を自然に創る症状。
主に精神病疾患者が「一般的ではない、辞書に載っていない造語」を創作し、
さも当たり前のように使う症状。統合失調症の典型的な症状であり、
アスペルガー症候群にも多くみられる。 統合失調症は別名「天才の病気」と呼ばれてるんだよね。
生前ゴッホやダビンチも統合失調症と呼ばれてた。 >>996
それな。
ヒトラーも統合失調症と言われてた。
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