2018年06月15日07:00
日本人は信用するな!? ウォルト・ディズニー大激怒
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51548336.html

 1970年の9月に、今の所日本で一番大きいイベントである大阪万国博が終わりました。
 それでまぁ、万国博に関わった人間っていうのは、すごい虚脱感があったんですよね。
 虚脱感があると同時に「次は何をしよう?」と。

 60年代には東京オリンピックがあって、70年に大阪万博というのがあったから。
 とりあえずデペロッパーと呼ばれる人たち、もしくはエンターテイメント産業の人間は
「とりあえず次に僕たちは何をやればいいんだ?」というふうに、あっけにとられたんですね。

 1970年の日本の万博を作った、それぞれのパビリオンを作った人たちっていうのは、
実は、ほぼすべて全員、カリフォルニアのディズニーランドに行ってるんですよ。

 ちょっと、ドンドン遡って悪いんですけども。

 なんでカリフォルニアのディズニーランドに行ったのかっていうと、1964年にニューヨーク博っていうのがあって、
このニューヨーク博の人気アトラクション ベスト4が、すべてカリフォルニアに移植されたんですよね。

 本当を言えば日本の万博を担当・実行する人たちっていうのは、ニューヨーク博に行きたかったんですよ。
 でもニューヨーク博は64年で、もう6年も前に終わっているから、そのころは大阪万博の準備は始まってなかった。
 なので仕方が無いから、「じゃあ64年のニューヨーク博のアトラクションがそのまま残されてる
カリフォルニアのディズニーランドへ行ってみよう」と。

 それで日本の万博を開催する人たちは、ほとんど みんな、舐めて行ったそうなんですね。
 「“ディズニーランド”って遊園地があって、そこにまだアトラクションがあるそうだから、動いていりゃいいな」と思って、
舐めて行ったらですね、全員「すごい!」ってなって帰ってきた。
 それで「あのディズニーランドって凄いよ!」という事になった(笑)。

 あの日本の70年代の大阪万国博って、もっと真面目な展示会のはずだったんですって。
 それが みんなディズニーランドを見ちゃったもんだから、「ああでなきゃいけない」と思い込んでさ(笑)。
 それで1970年の日本の万国博っていうのは、展示もあるんだけども、一大エンターテイメント産業みたいになっちゃったんですね。
 それで「アレ(ディズニーランド)を何とか日本に持って来れないか」と。

 「ま、万博が終わっちゃったから、いよいよカリフォルニアのディズニーランドを、そのまんま日本へもって来れないのか」
というふうに、みんな思うようになってですね。

 ほぼ同時の1971年、大阪万博の翌年に、三菱と三井は それぞれ別々に行動しました。

 お互いに知らないです。