>>116
 これは、さながら
 「江戸時代の日本の浮世絵が19世紀のヨーロッパで評価され、印象派絵画という形で逆に日本に帰ってきた」
 という現象にすごく似てると思うんですよ。

 まあ、もちろん、みなさんも当たり前のように知っていることでしょうけども、一応確認のために話します。
 浮世絵というのは、江戸時代の日本ではそんなに高級なアートではなくて、どちらかというと安物の、
 包み紙として使ったり、もしくは切り取ってシールとして障子とか襖の破れていたところに貼ってた程度のもので、
 生活用品の一部だったんですよ。

 そうですね、“アニメージュについてるポスター”程度の感覚だと思ってください。
 そんな「ちょっと気が利いてるな」と思ったら買ったりするようなものだったんです。
 しかし、それがヨーロッパに流れて、当時の画壇に大きな影響を与えました。

 このヨーロッパに流れることになった原因というのも、
 ヨーロッパでウケてる日本の瀬戸物を包むための梱包紙として浮世絵を使っていたら、
「これはなんだ!?」ということで注目されるようになったという伝説があるくらいなんですけども。
 その結果、ゴッホ、モネ、ルノアール、あとはセザンヌという、後に印象派と呼ばれる画家たちに影響を与えました。

 特に、ゴッホなんて、ものすごい貧乏だったんですけども、その貧乏生活の中でも浮世絵のコレクションというのを
 100枚くらい持っていたと言われていて、ついには模写まで始めてしまいます。

(パネルを見せる コ?ッホの模写)  http://livedoor.blogimg.jp/okada_toshio/imgs/0/8/08d5182d.png

 これは、ゴッホの模写なんですけど。これ、俺のすごい好きな絵なんですよね。
 歌川広重の江戸百景のうちの1つを手に入れたゴッホが、油絵でとしてキャンバスに
 メチャクチャそっくりに模写をしたという絵が残っているんです。

 それくらい、ヨーロッパ画壇に大きな影響を与えて、それが別の形で日本に帰ってくるということがありました。
『パシフィック・リム』というのも、こういう作品のうちの1つだと考えればわかりやすいのではないか、と。
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この記事は『岡田斗司夫ニコ生ゼミ』5月13日(#230)から一部抜粋してお届けしました。