>>830
 むしろ、それとは逆に、やや俯瞰的に、ちゃんと上から見下ろすような視点で見れるような作品として作ったと、
この本の中で書いているんですね。
・・・
 と、同時に、この本の中には、最近の宮崎駿に対する悪口も書いてあるんですよ(笑)。
 かつての宮崎は、そういう、俯瞰的な視点で、楽しませると同時に考えさせる作品を作れた。

 『カリオストロの城』を見てくれ。あれを見た観客はみんな笑った。
 なぜかというと、『カリオストロの城』の中には、「おいおい、それ、なんだよ!?」というシーンがいくつもある。
例えば、銭形のとっつあんが水の中を覗くシーンで、銭形のとっつあんの顔がぐにゃぐにゃっと歪むシーンとか、
ルパンがちょっとムチャなジャンプするシーンとかで、観客はみんな笑う。

 それはなぜかと言うと、「自分たちが見てるのは、所詮はアニメであって、漫画である」っていうことを、
一瞬思い出すからだ。こういうことを、かつての宮崎駿は出来た。

 しかし、『千と千尋の神隠し』を見てくれ。あれの中にも、同じように変なシーンがいっぱい出てくるし、
キャラクターが変な動きをするんだけど、もう映画館で誰も笑わない。

 宮崎駿は、そうやって、観客をハラハラドキドキさせて主観的にさせる、いわゆる作品の中に没入する方法を選んでしまった。
でも僕は、そうではないのだ。

 こういうことをガーンと書いてるんです。
・・・
 おわかりでしょうか? 高畑勲って、ずっと“そのつもり”で映画を作っていたんですよ。
 つまり、観客が理解できていないんですね。

「『母をたずねて』を見ても、チビっ子やお母さんは泣いたりしない」と思い込んでいるんです。
だから、「泣きました」という感想を聞いても、「そういう人は少数派だろう」と思っちゃう。

 『母をたずねて』の企画書を読むと、「マルコ少年は素直ではなく、可愛げがなくて、大人に逆らってばっかり。
とても感情移入できる少年ではない」とまで書いてあります(笑)。

 高畑勲は絵を舐めてるんですよ。あんなにかわいくマルコ少年を描いたら、誰だってかわいいと思うに決まってるんです。
でも、自分で絵を描かない高畑勲は、そこを計算違いしちゃうんですよね。