0645おたく、名無しさん?
2018/04/24(火) 09:30:54.63そういうことを、今回、ツイートを見ていて知ったんですけども。
「このシーンで終わるところが、やっぱりこの映画のスゴイところだ」と思う僕としては、
このシーンを見逃している人があまりにも多かったことに、かなり驚きました。
しかし、今回の解説は、こういうレベルではなく、もっと細かくやっていきます。
・・・
では、冒頭の流れを説明します。映画が始まって一番最初のシーンを、カットごとに順繰りで説明していきますね。
まず、真っ暗闇の中、カメラ目線で真っ正面を向いた清太の幽霊が現れます。
そして、「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」というふうに関西弁のイントネーションで言います。
次に、清太の幽霊が見ている光景として、駅構内で死にかけている自分の姿が映ります。
この時点では、一応、ハアハアとまだ息をしているんですね。
でも、やがて崩れてしまう。
すると、駅員がやってきて、清太が死んだことを確認します。
そして、「ああ、こいつも死んでしもうた」ということで、遺品を探っていたら、ポケットの中からなんか缶カンが出てくる。
何の缶カンかわからないので、駅員がそれをポイと捨てると、捨てられた缶の中から骨が出てきて、季節外れの蛍がポワッと現れる。
その蛍の中から1人の女の子の幽霊が現れる。妹の節子ですね。節子はお兄ちゃんの死体を見ています。
節子の幽霊がお兄ちゃんの死体に駆け寄ろうとすると、後ろから肩を叩かれて止められる。
振り返ると、そこには生きていた頃の優しいお兄ちゃんがいて、2人はそのまま手を繋いで、
蛍のいる草原を右から左へ歩いてフェードアウトする。
この、二人が通り過ぎたところに、『火垂るの墓』というタイトルが表示されます。
まあ、ちょっと簡単に説明したんですけども、こういう大きい流れで出来ています。
「もうツラい」(コメント)
「これを見るだけで泣いてしまう」(コメント)
もう泣いてますか。すごいな、みんなやっぱり泣くんだな。
・・・
さて、実はこの「まだ生きている自分を、死んだ清太の幽霊が見つめる」というシーンには、
よくよく見ると、すごい秘密が隠されているんですね。
それは何かというと……さらに細かく、1カットずつ検証していくとこうなります。
(冒頭の清太) http://livedoor.blogimg.jp/okada_toshio/imgs/9/4/9407abf4.png
まず、「昭和20年9月21日夜僕は死んだ」と正面を見つめて言う清太の幽霊。
そう言ってから、清太の幽霊は次に右下に視線を流します。
すると、駅構内の柱が映るんですけど、この時、手前に何かが映ってるんですよね。わかりますか?
(柱の横に何か) http://livedoor.blogimg.jp/okada_toshio/imgs/7/f/7fdd11f0.png