2018年04月24日07:00
『火垂るの墓』の冒頭5秒に隠された謎
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51546968.html

 まずは、「この『火垂るの墓』という作品について、そもそもみんなはどういう話だと思っているのか?」
というところから始めますね。

 日テレの公式サイトに、『火垂るの墓』のストーリーの簡単なまとめがありました。
――――――
 昭和20年9月21日夜、神戸三宮駅構内で清太は息を引き取る。所持品はドロップの缶だけ。
遺体を片付けていた駅員が、その缶を放り投げると中から小さな遺骨がこぼれ落ち、草むらに季節外れの蛍が舞い上がる。

 3ヶ月前の6月9日、神戸は大空襲に見舞われ、清太は心臓の弱い母を先に避難させ、幼い妹節子を連れて、後を追う。
遅れて避難所の学校についた清太だったが、そこには変わり果てた母の姿が。

 母はそのまま息を引き取り、清太は節子と共に西宮にある親戚の家に移るが、
叔母は次第に清太たちに厳しい言葉を投げつけるようになる。

毎日小言を言われ、ご飯も満足に食べさせてもらえない生活に耐えきれなくなった清太は、
家出を決意。節子と2人で、池の畔の横穴で暮らすことになるが……。

 空襲が続き、人の心もだんだん荒んで、清太は節子を食わせることも出来なくなる。
次第に節子は衰弱し、ついに死んでしまう。清太は1人、節子の遺体を焼いて、自分も神戸の駅で息絶える。
――――――
 というふうに書いてあります。まあ、表面上のストーリーはこの通りなんですけども。

 実はですね、この映画について、今聞かせたようなお話だと思っている人が、全体の半分くらいいるんですよね。
 僕、金曜ロードショーで放送されていた時に、「♯火垂るの墓」というハッシュタグが付いているツイートを、
ずーっと見てて、後でまとめも見たんですけども。この映画のラストシーンを覚えていない人がビックリするくらい多いんですよ。
・・・
 そのラストシーンというのが、これなんですけども。

(神戸の夜景) http://livedoor.blogimg.jp/okada_toshio/imgs/d/e/dee1a4ab.png

 ベンチに座っている清太と節子。寝ている節子の傍らで、清太は繁栄している現代の神戸のビル街を見下している。
こんなシーンが最後にあります。

 これこそが『火垂るの墓』を見る際に基本中の基本になるシーンだと思うんですけども、このシーンを覚えていないというか、
これがどういう意味だか受け取っていない人が、思いの外、多いんですよね。

 最後、清太が死んだ時、節子の霊が迎えに来て、一緒に成仏するのかと思ったら、ラストでは現代の神戸の夜景が映る。
つまり、彼らは終戦後半世紀が過ぎた今でも、まだ成仏せずに、今でも私達を見つめているんだと、
この映画を見た一部の人は解釈しているんです。

 そういう意味では、オカルトとまでは行かないんですけど、ちょっと怖い映画なんですよ。

 しかし、「あの2人は今も霊となって、神戸の街を見下ろしてるんだよ」と考えている人がいる一方で、
残りの人はそこまで考えていない。そもそも、過半数の人が、このシーンを覚えてない。