2018年03月20日07:00
『カリオストロの城』前史<2> 監督 宮崎駿の転換期
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51546046.html

 『ルパン三世』のテコ入れを終えた後、宮崎駿は、72年73年に『パンダコパンダ』の劇場版の製作に参加し、
その後にズイヨーに移籍します。そして、『アルプスの少女ハイジ』の準備をし、
それが放映される、という流れになるわけです。

 さて、『アルプスの少女ハイジ』と『母をたずねて三千里』をやったところで、
宮崎駿は、自分のアニメーターとしての生き方に疑問を覚えるんですね。

 というのも、『太陽の王子ホルス』の頃からずっと、宮崎駿というのは
「イメージボードを描いて提出すると高畑勲が採用してくれる」というやり方をしていたんです。

 どんな仕事をする時も、自分が「これは面白い!」と思ったシーンを、
圧倒的な画力とイメージ力で、まず絵にしてしまう。

それを上の人間に見せると、監督も、それを採用せざるをえない。
すると、そのシーンを入れるためにストーリーが全部変わってきて、作品が自分のものになっていく。
 宮崎駿はこういうことをずっとやっていたんです。

 ところが、『アルプスの少女ハイジ』と『母をたずねて三千里』では、
初めてそれが出来なかったんですね。高畑勲にいいように扱われてしまったんですよ。

 それまでは、高畑さんが「こういう作品を作ろう」と決めたことでも、
宮崎さんがそれよりも良いイメージボードを描いてきたら、
「それカッコいいじゃんか! 出そうよ!」ということで、どんどん変えてもらえた。

 ところが、『ハイジ』と『三千里』というのは、原作という大本になるストーリーがあったんです。
そして、高畑勲というのは、本当に原作を大事にする人なんですよ。そこを曲げなかったんですね。

 結果、この2つの作品を作るにあたって、宮崎駿はものすごく働いたんだけど、
それはあくまでも高畑勲のイメージを膨らますための道具として使われることになりました。

もちろん、本来の関係性で言えば、これは本望なことのはずなんだけども。
これまでのわがままを言えた立場からは変わってしまったんです。
・・・