>>917
 これによって、サルのような霊長類にも“公平性”という概念があること、
次に、その公平性が破られた時に怒りみたいなものを感じることがわかりました。

 これがノー・フェア実験です。シャーデンフロイデの概念を説明する前に話しておくべき、すごく大きい実験ですね。
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 そんな、まるで人間みたいなオマキザルなんですけども、サルと人とは、やはり違うんですね。
 では、何が違うのかというと、違うところが2つあります。
 1つ目は、「サルは目の前の結果だけで怒る」というところ。
 2つ目は、「サルは、自分が損をしたことには怒るけど、得をした者が罰せられても別に喜ばない」というところ。ここが違うんですね。

 1つずつ説明します。
 1つ目の「サルは目の前の結果で怒る」ということについて、これは、同じくノー・フェア実験の中でわかったことなんですけども、
この実験に掛けられたオマキザルは、「目の前の相手がブドウを貰って、自分はキュウリしか貰えなかった場合」には怒ったんですけど、
「何十匹というサルの中で、ある者はブドウを貰って、ある者はキュウリを貰う場合」には、ここまで極端な反応は出なかったんですね。

 どういうことかというと、オマキザルには“みんな“という概念がないんです。
目の前の結果だけにしか目が行かない。だから、ノー・フェア実験では、彼らの目からも差異がハッキリわかるように、ペアを組まされたんですね。
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 これは『サピエンス全史』の解説の中で話をするつもりだったんですけど。
 100万年前ごろから、類人猿と呼ばれる様々な人類がいたんですけども。その中から、ホモ・サピエンス種という種族が発生したのは、
わりと新しくて、7万年から8万年くらい前と言われています。

 ホモ・サピエンスがほかの類人猿と比べて何が特別だったのかというと、“抽象概念の共有”というのを始めたところなんです。
例えば、「俺達は〜」っていう言い方がそうです。「うちの学校は〜」でも、「日本人は〜」でもいいです。
こういった抽象概念の共有というのを始めたのは、ほんの7万年前。しかし、これを始めてから、ものすごい勢いで、他の種族を駆逐していったんです。

 つまり、これがホモ・サピエンス誕生のきっかけと言ってもいい。僕らが思っているより、人類の歴史というのは思いっきり浅いんですよ。

 ホモ・サピエンスは、民族とか神様というような抽象概念を作ることによって、
お互いが面と向かって顔を合わせたことのないような群れでも、「同じ仲間だ!」というふうに同一視が出来るようになりました。

 例えば、ネアンデルタール人のような他の人類というのは、1つの群れの人数の上限が100人とか150人くらいなんですね。
それ以上の数になってくると、“我々”という仲間意識を共有できなくなるからです。
ところが、ホモ・サピエンスに限っては、もっと多い、200人、300人、400人という、顔を覚えきれない人数でも、“我々”と考えることができる。

 なので、例えば、遠く離れた群れ同士でも物を交換できたり、国家という巨大な集団を作ったり、
100人以上を使った狩りとかが出来るんですね。これによって、他の種族に対してすごく有利な位置に立てたんです。