>>55
 というか、これ以外の方法で、独自の歴史観なんて作れないんですよ。
 「歴史観というのは、正しく“間違ってないもの”をちゃんと読んだ上で作られる」なんていうのは幻想です。
 そんなこと、誰もやっていません。

 誰もが、司馬遼太郎を読んだり、TVドラマを見たり、人によっては『銀魂』を見たりして歴史観を育んでいるんです。
 ……いや、『銀魂』を見て「新撰組はこうだったに違いない!」と信じるのも全く構わないんですよ?
 『銀魂』以外も読みゃあいいだけなんだから(笑)。
 とにかく、そういったものをまともに信じちゃうという所から、興味の取っ掛かりが作られるんです。
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 もちろん、その他にも「資料を真面目に調べる」という方法もあります。
 Wikiを始めとして、いろんな本や資料を調べるという方法、僕も今回やりましたけども。

 そういった資料を調べてわかることというのは、「本当はどうだったのか」ではないんですよ。
 資料を調べれば調べるほど「本当なんてものは、ないんだな」っていうのがわかるだけなんですね。

 今、僕らが本当の歴史だと思っていることというのは、「それぞれの資料を照らし合わせた中で最も辻褄が合うから、これにしておきましょう」
 という程度のものでしかないんです。新しい資料が出てきたら、ひっくり返るかもしれないようなものなんです。

 だから、「本当はどうか?」よりも、自分独自の面白い世界というのを作ることの方が、絶対に大事だし、
 そのためには信じ切って読んだほうが絶対いいんです。

 まあ、「僕らが本当だと思ってることも、諸説ある中の1つにしか過ぎない」という客観性を持てるという意味では、
 資料を調べるというのもいいことなんですけど。
 でも、僕は、他の漫画も色々読む中で、それらを信じ切って独自の歴史観を作っていくというのが、一番良いと思います。
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