>>85
 なので、人気ブロガーだったり、タレントがブログを始めましたという時には、まるで新聞のように、毎日毎日、発行することを求められ、
 その中でも写真だけではなく、文章も求められる。そして、そこに書かれるのは、その人個人の話であったり、ニュースであったり、
 知ることを目的とした媒体になっている。
 そういう意味では、わりと新聞に似ていると思うんですね。

 2つ目のメディアは“ツイッター”ですね。
 ここで言うツイッターというのは何かというと、本質的に“流れを把握するもの”です。
 1つ1つのツイートには、実はあまり意味がないんですね。ツイートというものをいっぱい眺めることによって、
 「今、世間はどういうになっているのか?」という流れを知るためのメディアがツイッターである。

 これは、既存メディアの何に似ているのかというと、たぶんラジオに似てるんですね。ラジオ番組の1つ1つではないんです。
 例えば流行歌というものが、「ラジオとかの放送でどれくらい流れたのか?」で決まる時代というのがあったんですね。ラジオというのは流行を作るものだった。
 テレビというのは、流行を仕掛けて作らなきゃいけないんだけども、ラジオというのは、その日、その週あったことをすぐに伝えられる、
 わりと軽いメディアだったんですよ。だから、ラジオの流れ全体で世の中が流れていた時代があった。これは、深夜放送が時代を牽引していた、
 1970年代くらいの話なんですけど。

 僕らも、今、ツイッターを見る時に、「ツイッターでどれだけ騒いでいるのか?」っていうことを中心に見がちですよね。
 実は、僕らは既に、個別のブログを見るように、個別のツイートを見たりはしていないんですね。もっと大きい流れとして見ている。
 そういった流れの把握こそがツイッターの本質なんです。

 ブログが流行の発信であって、ツイッターが流れの把握であるとしたら、じゃあYouTubeというのは何かというと。
 新聞とラジオの次ですから、これは当然、テレビなんですね。
 YouTubeというのは、本質的にテレビなんですよ。
 新聞が誰にでも発行できるようになったものがブログであり、ラジオが一般大衆に開放されたのがツイッターだという、
 このアナロジーで考えていくと、テレビが一般大衆に開放されたものがYouTubeであるというふうに、僕は考えます。
・・・
 このブログ・ツイッター・YouTubeのこの3つが揃うことによって、20世紀型のオールドメディア、新聞・ラジオ・テレビというのは、「終わった」
 って言ったら失礼なんですけど、実は、もう完全に古いものになってしまった。
 あとはもう、テレビ・ラジオ・新聞に“しがみつきたい人”だけがしがみついている。いまだに、規模はデカいし権力としてもものすごく大きいんだけども、
 新しいものを作ろうとしても遅いということで、僕らにとっては、わりと縁遠いものになりつつある。