>>180
(続き)
竹熊 僕が岡田さんの原点だなと思うのは、1981と1983にダイコン3、ダイコン4
を企画したでしょう 全国規模のSF大会を大阪で運営したんですね
それで山賀、庵野、赤井という大阪芸大でアニメを作っていた天才三人組を中心
にして関西の大学漫研とかアニメ研、SF研とかに声をかけた
それでだいたい300人くらいのスタッフに全部ボランティアで本格的なアニメを
作らせたんですよ 三分くらいのアニメ、これを二本、全部で六分くらいか、
これをね、1万2000円くらいでビデオ化して売ったんですよ

大泉 なるほど、すごい商売人だなぁ

竹熊 これが売れたんです それで作品は黒字になった
この前後に、彼はゼネプロを作った 
こういう「新しくて面白い企画をだす才能」には富んでるんです
だから、80年代初頭のオタク文化勃興期の中心人物であったことは間違いないです
ただ、岡田さんは困った人で、自分がやってない仕事でも全部俺がやったって
いっちゃう人なの
僕の東大での講義を自分の仕事にしたようなことを色々な人にたいしてやっていた
だから、自分が社長だったガイナのスタッフには、実は相当反感をかってたんですよ
これは僕、昔ガイナを相当取材しましたから、実際に現場の人から聞いてます

竹熊 岡田さんはねぇ、ご存知とは思いますけど、親御さんが事業をやっていた
その仕事が成功して彼が子供のころに、急に金持ちになっちゃったわけですよ
いきなり三階建てのエレベータつきの家を建てて、ドアも自動でね

大泉 自宅が自動ドア(笑)

竹熊 で、岡田家はなぜか名ばかりの宗教団体を買い取った
それでお母さんが教祖になった
信仰に目覚めたのかどうかは知りませんが、宗教法人って税金が無茶苦茶優遇
されるでしょう そういう人間の生き方をみて育ったんだよ