2017年11月01日07:00
僕らオタクが『ブレードランナー』から受け取るべきこと
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51541477.html

 じゃあ、この『ブレードランナー』と『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の違いというのを、
僕らのようなオタクの問題に繋げていくとどうなるのか?

 まず、フィリップ・K・ディック的に、「非人間的なことをすると人間性を失ってしまう」というふうに考えると、
「オタクは二次元の嫁の夢を見るか?」っていう話になってくるんだよ。

 つまり、「たとえ二次元の嫁であっても、アニメのキャラクターであっても、
自分の欲望のためだけに雑に扱うと、私達はダメになる」という考え方になるんだよな。
フィリップ・K・ディック的に考えると、「大事に買ったフィギュアは捨ててはいけない」となるんだよ。
面白いことに(笑)。

 「これはあくまでも二次元の嫁だ。つまり、絵に過ぎない。紙に過ぎない。
プラスチックのフィギュアにしか過ぎない」っていうのは重々わかった上で、
「でも、それらを雑に扱うと自分の魂が汚れる」と。これが、フィリップ・K・ディック的に
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を、僕らが受け取る時に考えるべき幅だ。

 あくまでも、僕らは自分のためにアニメのキャラクターを愛するのであって、
彼らを本当に愛したとしても、そこに解答はない。だから、リア充の人から、
「そんなのと恋愛しても、恋愛ちゃうやないですか」と言われた時に、
僕らが一瞬、言葉に詰まってしまうのは、そこなんだよ。そこに解答はないんだ。

 つまり、「レプリカントに感情移入しても仕方ないのはわかっているけど、
でもレプリカントを雑に扱うと、人間性が失われてしまうんだ!」という僕らは、
フィリップ・K・ディック的な位置にいるんだよ。
・・・
 では、これをリドリー・スコット的に考えたらどうなるのか?

 リドリー・スコット的に、僕らのオタクライフを考えると。
例えば、僕らが見ているアニメの中で、「美少女達が世界のために戦って、
傷ついて死んでいく」っていう描写があるじゃん。