>>867
 なぜ、僕がこういうふうに考えるのかというと、
例えば、クラスの中の嫌われ者のオタクを
みんなが仲間はずれにするっていうことがあるよね。

ただ、ルール上はOKなやり方で仲間はずれにするだけならいいんだけど、
これが「全員で持ち回りで担当するはずの掃除当番を、
そいつだけ週に1回のルールに変えちゃう」とかになると、
なんかすごくイヤなんだよ。

 つまり、「ルールがいったん決まっているのなら、そのクラスの中で、
嫌われていようが好かれていようが関係なく、均等に履行されるべきだ」
っていうふうに考えているから。

だから、「真木よう子みたいな有名人は企業ブースでやれ!」って言うんだったら、
西原理恵子も企業ブースでやるべきだし、壁で列を作っているような実力派の人たちも
別に企業ブースで構わないと思うんだけども。

 でも、そこまでのルールを平等に適用し過ぎると、
どんどんややこしくなるし、シンドくもなるんだよね。
 だって、コミケに参加するような俺らには「傍」というのがいるわけじゃん。

コミケっていう場だけを考えるんじゃなく、
「世間から見たら」っていうような「外の世界」というのを考えた場合、
「コミケはアマチュアの場なんだから来るな!」って言って追い出すのと、
「真木よう子さんみたいに、主演ドラマの『セシルのもくろみ』も視聴率が悪かったり、
いろいろトラブルを抱えている人だろうと、誰でも同人誌を作ってOKですよ!」
って言って受け入れるのとでは、俺らの評価もまったく変わってくるんだからさ。

 基本的に「何かを排除する」っていう時は、よっぽど特殊な場合でないと。
例えば、「排除した方が、オタクやコミケの株が上がる」とか、
そういう時は排除もアリかもわからないんだけど。

それ以外の時は、「なんでもOKですよ!」にしておいた方が、ただでさえ
「世間から排除されている我々」としては、そっちの方が格好いいと思うけどね(笑)。

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