2017年09月09日07:00
【捨てT】庵野監督vs赤井監督 帰ウルをめぐる戦い
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http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51539793.html

今までのお話
DAICON3が終わり、2年後のDAICON4に向け、その宣伝とスタッフ育成のため、
いくつかの映像作品を作ることに。

庵野秀明を監督にして作り始めた『帰ってきたウルトラマン』は、制作がなかなかすすまず、
当初の予定には間に合いませんでした。
制作途中で、庵野監督は『超時空要塞マクロス』を手伝いに東京に行ってしまいます。
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庵野がマクロスに行っている頃、僕は大阪の桃谷という駅の近くに、
ゼネプロっていうSFショップをオープンさせました。2月のことです。
毎日店を開けて、毎日レジを打って、おまけに商品の企画も全部僕がやってました。

最初は僕、本当に朝行ってシャッター開けてたんですよ。
一緒にやってた武田さんなんてなかなか来ないから。
で、Tシャツ屋さんとかグッズ屋さんとかに電話かけたり、実際に行ったりして交渉して、
商品発注もやって、アメリカに年に4-5回おもちゃとかの買い出しに行ったりもしてました。

その頃に庵野も帰ってきて、ようやっとその『帰ってきたウルトラマン』の後半の製作が再開できたんです。
ところが正月休みの間に、できてるフィルムの編集を済ませるという約束だったんですけど、
庵野はそれをしてこなかったんです。
もう赤井君が怒り心頭!

というのも、『帰ってきたウルトラマン』って実質、作っているのは赤井孝美なんですよ。
現場でカメラを回すのも赤井だし、セットの作りの指示も赤井だし、
ミニチュアワークとか特撮監督をやってるのも赤井、
スタッフに対する励し役も赤井、役者に対する演技指導も赤井、すべて赤井なんですね(笑)。

「庵野くん、これでいい?」って言ったら、庵野は、「うん。」って言うだけ。
庵野秀明が『帰ってきたウルトラマン』でやったことで一番大きい事って、
ウルトラマンを演じたっていうことと、絵コンテを書いたことだけです。

あと、庵野がやったのは、ミニチュアの飛行機の飛び方をものすごく細かく指示したくらいですかね。
ここでこういうふうに急旋回して、とか。

で、それを見て赤井君が、また怒りだす。
「庵野、これはアニメの動き方だ。特撮ではムリ」って。
アニメだったら1フレームの中で戦闘機がこう飛ぶっていうのは、自由自在なんです。
でも、俺らがやっているのはミニチュア特撮だと。
ミニチュア特撮の場合は、物理的属性というものに、すごく制限されるだろ!って。