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岡田:僕は『ホモホモ7』の頃からの先生の読者なんですけど。
ホモホモ7が、まあ、ほぼデビュー作品みたいなものなんですよね。

みなもと:はい。20歳でデビューして、23歳で『ホモホモ7』で。
 デビューして1年間は、やっぱり食えなかったけど、2年目からは『女学生の友』という雑誌で何本も描かせてもらったし、
 読者コーナーみたいなところを任せてもらってたんですよ。編集さんが非常にかわいがってくださったんだと思いますけども。
 当時は、読者コーナーのカットとか、ちょっとした台割みたいなものをやって、それで2〜3日やれば、普通の人の月給くらいは貰えましたから。

岡田:良い時代ですね。何気にすごいですよね。

みなもと:あの頃は、まだマンガ家の原稿料が良かった時代。月に16ページもマンガを描けば、悠々と食えた時代でした、はい。

岡田:昔、石黒昇さんが「『鉄腕アトム』とかのコンテを描いてたら、家が買えた」というふうに言ってたんですけど。
アニメーターでも、やっぱり初期の頃は、すごいお金を貰っていたはずなんですけど、「いつの間に……」ですよね。

みなもと:ええ。段々、段々。酷い時代に。

岡田:なぜこの『マンガの歴史』という本を書こうと思われたんですか?:『マンガの歴史 第1巻 岩崎調べる学習新書』(みなもと太郎)

みなもと:なぜ思ったかというよりは、前から「書かなきゃいけないな」とは思っていたけれども、到底、書いている時間がなかったわけです。
 マンガは、とりあえず、「50歳までは毎月100ページはこなさなければいけない」ということを、自分の中で決めてましたから、
 もう、昨日のようなパーティーみたいなものがあっても我慢して一切行かずに、50歳まではひたすら自宅で描いていたわけです。
 だけど、50を過ぎたら、徹夜がきかなくなったんです。20代の時は、もういくらでも徹夜ができますから、
 3日間ずっと起きっぱなしで描いていたこともあるんですけど。だけど、徹夜明けで寝ても疲れがとれなくなってきて―――。

岡田:……先生、「なんでマンガの歴史を描いたのか?」という質問から、今、ものすごく話が逸れてます(笑)。