>>810
 その後、身体の内側を攻撃されて、ついに2本足で立ちあがるシーンがあるんだけど。
 立ちあがった瞬間に、また形態変化して、胴が太くなって下半身が強くなって、2本足で立てるようになる。
これが、シン・ゴジラの第3形態っぽいんだよね。
 その怪獣が、口から霧状の可燃物をファーって噴くと、周りが紅蓮の炎にブワーッと飲まれて、
永津野藩が領民を逃さないように作ってる砦がどんどん焼け落ちていく。そんな中で怪獣と戦うんだけど……また、
ここで出てくる戦国武士たちが、怪獣とけっこういい試合をやるんだよな(笑)。
・・・
 やっぱり、この『荒神』は、時期的に見て、どう考えても『シン・ゴジラ』の元ネタなんだけども。
 シン・ゴジラよりも優れているところは、「なんでこんな怪獣が出現したのか?」という部分や、
登場人物の関わり合いというのをちゃんと描いているところなんだよね。

 あのね、怪獣映画って本当に難しいんだよ。シン・ゴジラでも、やっぱりそこが出来てなかったんだけども。
 怪獣と登場人物との間にはサイズの差があるし、あとは、怪獣の方に“人格”があったらダメなんだ。
下手に人格を付け加えてしまうと、卑小化されてしまうから。つまり、怪獣は、人類とか文明に対して、
なんとなく無関心な感じで歩いてないと怖くならないんだよな。
 ところが、映画を作る時にはこの登場人物、特に主人公と怪獣との間に何か感情的な関わりがないとお話にならない。
 そこら辺を、すごく上手く処理しているのが、たぶん『うしおととら』のラスト5巻で大暴れする、
白面の者という大怪獣。あれが“人格を持った大怪獣”として成立しているギリギリの形なんだよな。

 この『荒神』の中でも、怪獣は相変わらず人格を持ってないんだけども、登場人物の関わり合いというのをちゃんと作っていて、
それぞれの人間が「怖い」とか「食われる」だけでなくて、お話の中でドラマとしてちゃんと成立するようになっている。
 逆に言うと、こういう怪獣モノのストーリーを映画として作る時っていうのは、そういった怪獣と
登場人物の関係やドラマというのを全部捨ててしまわないと、成立しないんだ。
だから、シン・ゴジラがやった「ドラマを全部捨てる」っていうのは、素晴らしい大英断だったと思うんだけども。
 荒神はその逆で、「とことんドラマを重視して、女性作家がものすごいリアリティで怪獣モノを描いたらどうなるのか?」ってことをやってるんだよね。
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 これ、本の帯に「NHKドラマ化決定!」って書いてあるけどさ……絶対に面白くならないから!(笑)
 もうね、キャストを見てるだけでわかるし、何より、わずか100分の特番みたいな形でやろうとしているみたいだから、
「これ、もう、ダメだなあ」と思って。